夢見る電球
- カテゴリ:30代以上
- 2012/07/06 23:04:10
今日、不思議な展覧会を見た。
たまたま通りかかった路地裏の不思議なビルの1F、
何気に目についたそのギャラリー。
「眠る電球」と題されている、
時間もあることだし何かのネタにと思い扉を開けた。
展示されている作品には作り手の名がどこにも記されていない、
ただ実際に展示をひととおり観てしまうと、
作り手の名などこのさいどうでもいいと想えてしまうから不思議だ。
展示されているものは、すべてごく普通の電球である。
それも電球は切れているものらしい、
電球が切れているというのはその物が使い物にならないと言うことではなく、
一時的な事であって切れた線をつなげばまた元通りに光を発するということ。
となると、切れた電球は実のところは眠っている電球ということになるらしい。
この展覧会はそれらの眠る電球ひとつひとつに寝台を与え、
彼らに眠りと夢を与えようというものだ。
寝台には、
彼らがどのような場所にどれくらいの期間取り付けられていたか、
どのような空間でどのようなものたちを照らし続けていたのか、
小さな字で詳細にデータが記されている。
ほの暗い展示場の中でそれらのデータを読み継ぎながら、
決して光を発しない電球たちと対峙していると、
そのうち彼らのけなげさに自然と気持ちがほぐれてくる。
ふっと、思った。
私たちは光を求めすぎてはいないだろうか。
またこの展覧会は、
その反対に闇の魅力についてもあまりにエキセントリックに語っている。
自分の部屋の灯りを思い出して、
今一度身の回りの照明というものを考え直したくなった。
「世界」や「人生」と言ったものが、
天体の発する「大いなる光」によって変転してきたように。
世界の家々の屋根の下にある「生活」というものを、
これらの小さな電球たちが照らし続けてきたことを忘れてはならない。
この名もないアーティストは、そう語りかけてくるようだ。
ピッカリんこと光っちゃいましたか。
ネオンサインが星のかわり。
夜空も明るいから、星も見えないですよね。
昔、夜は暗いのが当たり前だった。
昼間の電車の中 自然の光で走る 優しいあかりの空間
少し暗いけど 夜の明かりが消えた自動販売機。。
好きでした。
少し暗いほうが。。 ちゃんと いろいろなこと 見る力 出来るのかもしれませんね。。
マニアックだ~~~。
子どものころ、部屋の灯りは100wの裸電球でした。
揺らすと影もゆらゆらして、おばけみたいになるのが面白かった。
蛍光灯には無い楽しみでした。
しっかりと・・ここだけで・・語って見ました。
「ひとつひとつに寝台を与え」なんて、ステキで奥深い表現だし、
その詳細データが、はっとさせられる。
今まさになエネルギー意識のみならず、
ひとつひとつの電球の元でのひとつひとつの営みの大事さ。
私、俄然クリア白熱灯好きなの。誘漁灯とか、マッチ棒の先のようなのとか。
ガラスとフィラメントのつくり出す、光の温かさと不可思議さ。
もう好みのみでは暮らせない。。
しっかしブラしゃん。アート評もばっちりだね!!
回線は…複雑だーー。
スチーム・ボ~ィを見たくなりました。
キラキラリーーーン。
節電って騒がれている今・・・出来る事からはじめよう。
不思議な展覧会でした。
まだまだつなぎようがある頭の回線に気づきますね!
最先端のLED球には、まねのできないスチームパンクな荒業~♪
夢の中に出てくる物体は、外光でなく、内なる光源で光ってる。
闇でまどろむ電球が演出している究極の照明って、これですね。
見に行った人の想像力☆
とっても空想や、今の電気の環境や
昔だったらもっと淡い暗闇とか・・・・
考えさせられる展示ですね。
目の前の小さな物に視点をかえると
いろんなものが見えてくるのですね☆
思わぬことを発見したり・・・
なかなか
そういう発想に浮かばないのよね
光・・・灯り 考えてみますわ。