☆奇人?大村益次郎
- カテゴリ:その他
- 2012/06/22 00:14:50
日本史に出てくる奇人と聞かれて、まず思い浮かんだのが大村益次郎でした。
大村益次郎(村田蔵六)
幕末近くのころ、周防の国(現山口県)の鋳銭司村に生まれる。代々長州藩の村役所付きの医者であり、藩主によって村田蔵六から大村益次郎と改名。
1842年に防府の蘭方医の医師に入門、46年には大坂に出て緒方洪庵の適塾に入塾しやがて塾頭となる。
その後、郷里で開業したものの陽の目を見なかったが、蘭学の知識があることから53年に伊予宇和島の伊達藩に招聘され西洋流兵書の翻訳、さらには西洋式軍艦の製造に貢献する。
また、56年には藩主に伴って江戸に赴き、その後幕府の近代的軍備訓練所である講武所の教授に就任。そして、60年にあらためて長州藩に軍制改革の担当として出仕。
派閥争いのため一時解任されることになるが、高杉晋作らのはからいで復帰。騎兵隊の創設に尽力する。
また、第二次長州征伐軍を撃破し、さらには上野に立てこもった彰義隊の征討にも活躍する。
維新後兵部省が設置されると、兵部大輔(実質的には責任者)として徴兵制などの改革を進める。
69年に京都で襲われその傷がもとで死亡。
経歴だけを見ると凄い人なんですが、刑場で刑死者の解剖をしたとか、「暑いですね」という挨拶に「夏は暑いものです」と返答したとか多くの逸話のある人物です。本人は大真面目だったのでしょうが、何かにつけ奇人として登場します。また、その点は自分で調べてみる方が面白みは増すと思います。(詳しくは司馬遼太郎著「花神」でどうぞ)
わからないコメントですね。
司馬遼太郎は大人になったら読もうと
思っていたのにねぇ・・・・
早や幾年月・・・
横須賀のベルニー公園に大村益次郎の銅像があります。
ベルニ―と並んで
顔は普通だったと思います。
真面目に研究者してはって
「人体とは…」て
つきつめて「解剖」してたんでしょな
マッドサイエンティストでは
ないんでしょ?