「契約の龍」(63)
- カテゴリ:自作小説
- 2009/06/26 00:54:43
「どうした?気分でも悪いのか?」
いつもの閲覧室で、机に突っ伏していると、クリスがドアから顔を覗かせてそう声をかけてきた。…もうそんな時間か。
「体調が悪いなら、ちゃんと自分の部屋に戻って休めばいいのに」
悪いのは体調じゃない。…おそらくは。
「大丈夫。熱もないし、どこかが痛い訳でもない」
顔を上げてそう言うと、クリスが心配そうな顔をして部屋に入ってきた。
「でも、顔色が悪いぞ?あんまり大丈夫そうには見えない」
言いながら、こちらに手を伸ばしてくる。額に、クリスの華奢な手が当てられるのを感じる。
「…うん、確かに熱はなさそうだな。…何があったんだ?」
そう言って、こちらの顔を覗き込んでくる。
「何も無い。心配してもらうような事は」
「…そうか。じゃあ、私が勝手に心配するだけにしておこう」
クリスの言葉に苦笑を浮かべるが、うまくいったかどうか自信がない。
「そんなこと言われたら、話さなきゃいけない気がするんだが。……自分でも、何があったか解らないんだ。まるで、白昼夢を見たみたいで」
「…白昼夢?」
「……ああ。実際のところ、今もまだちょっと頭の中がおかしいかも。クリスが心配そうな顔をしてるなんて」
「ひどい事を言われてるような気がする」
クリスがむくれた顔をする。…これなら、よく見る表情だ。
不意にクリスが、立った姿勢から腰をかがめて、顔を近づけてくる。
ふわりと漂う甘い匂いが鼻腔をくすぐる。匂っているのはクリスの髪か、肌か、それとも息か。
唇の上に柔らかな感触が残る。
「…いつかの、お返し」
えーと。いつかの、って……
クリスが俺の肩に頭を載せて、耳元でささやく。
「正気を取り戻したなら、帰ろう。何があったかは、話せるようになったら話してくれればいい」
「……びっくりした。けど、あまり正気になった気はしないな。…でも、帰るとしようか」
「…ふうん…そんな事が…」
帰り支度をしている途中でクリスに入庫パスを見咎められ、結局「気分が悪い原因」について話す羽目になった。
なぜかこの話を聞いているうちに、クリスの表情が翳ったのが気になるが。
「他人の入庫パスで入ったからそういう目に遭ったんじゃないのか?」
「これは教師用のだから、そんな機能は付いていないはずだ」
教師用パスならば、教師本人のほか、数名の学生を通せる権限がある。だから借り出したんだが。
「第一そういう理由なら、転移通路が使えないようにしとけばいい」
「うーん。冗談で和むような状況じゃなかったか…」
冗談を言っているような表情には見えなかったが。
「………アレク」
クリスがふと立ち止まる。つられて立ち止まると、クリスがいきなり抱きついてきた。
「人はな、自分のことは自分が一番よく知ってる、と思うものなんだ。たいていの場合、それは正しい。…でも、時々、そうじゃない事がある」
そして、ひどく真剣な面持ちでこちらを見上げ、続いてこう言った。
「アレクの、その現象について、私に心当たりがあるが、今は話したくない、と言ったら、アレクは怒るか?」
アレクのイメージがこの前から少しづつ変わってきたような。