器の大きさ(続編その2)
- カテゴリ:日記
- 2008/12/04 23:30:18
二つ目です。
●新庄剛志の話『引退宣言』
http://1st.geocities.jp/dogyamanet/player/sportsshinjo.htm
より抜粋。
↓
1995年夏、中村勝広監督が休養となり、代わって監督代行となった藤田平は、打率が2割台前半に低迷し、本塁打数も落ち込む新庄に2軍落ちを宣告する。自由奔放なプレースタイルを好む新庄は、藤田平のような厳しい指導が合わなかったのだろう。その年の調子は、最悪なままで、上向くことはなかった。
藤田平は、通算2068安打した大打者で、1981年には打率.356で首位打者になった。208打席連続無三振という日本記録を打ち立ててもいる。守備も堅実にこなす、まさに昔気質の職人と言える選手だった。その反面、藤田は、江夏や田淵、掛布らに比べ、スター性に乏しく、地味なイメージがつきまとった。スター性で人気先行の新庄とは全く逆のタイプだったわけだ。
藤田に冷遇された新庄は、その年、87試合出場にとどまり、打率.225、7本塁打というレギュラー獲得後最低の成績で終える。
そして、オフに衝撃の騒動が起こる。
「自分はセンスがないから野球を辞めます」
新庄は、記者会見を開き、23歳にして引退宣言をしてしまったのだ。もちろん、前代未聞だった。このとき、新庄は、野球を引退して、日本初のプロ野球出身Jリーガーを目指そうとしていた、という伝説がある。その真偽は定かではなが、新庄なら充分に本気で考えていそうな話である。
新庄は、周囲の説得により、2日後に引退宣言を撤回する。翌1996年の成績は、打率.238、19本塁打だった。