「忍者物語」子供編7此の忍者村の仕事
- カテゴリ:30代以上
- 2012/06/15 20:08:02
写真は忍者の絡繰り屋敷。
とても危険ですので入らない方が良いです。
本編
夕菜はこの村の大人の全員の人数を
1年以上たっても解らなかった。
実際、寛太もお涼も全員が
そろって居る所を見たのは数回である。
精鋭部隊が2班ある。
人数は決まっていない。
つまり精鋭を率いる棟梁が出来る男が二人居るという事だ。
一つは男だけだが、もう一つにはくノ一も入っている。
其の次に順平達が居る、
やや年配の男と若い男とくノ一の班が
仕事の内容によって3~6つに分かれて、2,3人の時もあるが
20人以上の時もある。
主に芸人一座等をして雇われた国の指定した国の
情報集めと地図作りが仕事だ。
次に薬草集めを兼ねた薬売りの仕事がある。
殆ど一人だが、寛太を連れた子連れの時も在った。
此れも情報集めと地図作りだが、
通常は一人で城内への忍び込みも在る。
城内の地図作りと内部人間関係の調査が
多い為にその時は最精鋭が選ばれた。
次がお庭番の長期の仕事が在った。
近隣が安定した領国だと
順平達の様な精鋭を引退した棟梁格を
中心にくノ一の含めて編成される。
反対に近隣が不安定だと精鋭を中心とした
編成が組まれる。
此のお庭番の仕事も常に集中力が必要と
される為に一月をめどに二人から4人が
入れ替わる。
詰り大体ひと月後に変わりの人員が行って
其の行った人員が帰ってくる。
帰ってきた人員の報告で雇い主と話し合って
人数の補充が行われる事が在る。
此れは安定した両国でも同じである。
其れも、やや軽めの仕事(必ずしも死闘が無い仕事)を
仕切られる男が4・5人居るという事である。
例えば余程でない限り敵が攻めてこない城や、
広い屋敷の警備や其の雇い主の要望での
他国や近隣屋敷の情報集めは20人程で受け持つが
それ以外の小さな屋敷の庭番の仕事は2人の
時もあるし、多くて5人程度で受け持つ。
其れと怪我をしたくノ一の飯炊き女と
怪我をした男忍者の田畑の仕事と
村の警護がある。
精鋭達がどれほど危険な仕事をしているかは、
報告が行われる時にどこで死亡、
遺体確認、未確認の言葉で解る。
人数が減ると順平が引きつれている
若い男から補充する様に
一人、二人と精鋭に入れられる。
たまに外から若い逸れ忍者が合議の末、
入る事を認められる事がある。
めったに無いがお涼達が来てから、二人在った。
既にどこの忍者村が全滅したと言う噂も出て、
其処に居た生き残った者で、使えそうなのが、
どこかで盗賊に入ったと言う噂があれば、
其の盗賊から引き抜いたのが一人。
一人はどこかの商人の用心棒になる為に
うろついていた所を偶然を装って近づき
こっちに入るかを交渉して連れてきた。
連れて来る前に何度か話し合いが行われるので
主な大人が集まる部屋に集まって、
其の部屋の傍に行くのを他の大人が止めた時は、
そう言った話し合いの時であった。
其れまで、其の男達の動向を遠くから見ていて、
決まると本人との交渉があるのである。
それから順平達の中に入れられて
実力を色々な仕事を通して見られる。
村に連れて来られた以上は出来ない様だと
鍛えなおされたり、技術を伝授されたり、
厳しい訓練をさせられる。
寛太は其の下のお涼達と一緒に三味線や読み書き、
腕に砂袋をつけられての剣の稽古。
縄を使っての上に上がり方や
本物の手裏剣の稽古をするが
ハンデの砂袋を外して大人達の訓練にも
参加させられていた。
やがて、寛太が芸人一座の遊び人風の用心棒役の男の
使い走りの様な役で
芸人一座の中に入れられて村を出て行った。
その頃村では、何日も合議の話し合いが行われていた。
時々、大人の怒鳴り声が聞こえたが、
それもやがて静かになる。
何が起きようとしているのかは解らないが
お涼達の昼間の訓練はもくもくと続いた。
夕菜の三味線は教えている師匠役のお隅が唸るほど、
教えれば教えるほど更にうまくなっていった。
腕としては今すぐに通用する腕だが、まだ13歳にはなって無い。
つまり、夕菜が4人の中で一番若い。
と言ってもお涼の年齢は村に連れて来られた日が
3歳の誕生日にされた。
だが夕菜は三味線だけは既に一座で使える状態だった。
其の内、お美津と言う、精鋭の中に入っている
踊りを教えられるくノ一がかえって来た。
其れまで、彩夜が踊りを教えて貰っている間は、
お涼と夕菜はお隅が三味線を教えていた。
お美津の教える踊りは舞踊と言うよりも
大道芸の方でどちらかと言うと現代の新体操に近かった。
第一長い着物は着ない。
男が穿く猿股を最初に穿かされた。
一番最初に、体を慣らす準備体操の様な物から始まった。
次にお手玉。
夕菜は家に隠れ住んでいたので、
良く母とお手玉をして遊んだ。
お涼もお涼を可愛がっていたくノ一が
お手玉を教えてくれた。
だが、道具が違っていた。
薄い鉄のわっかを薄い竹の皮で包んで、
その上に布を膠でつけて巻いて色をしみこませ
色漆で更に光沢を出している高価な物だった。
だが、使った後は蝋蜜をつけてきれいに乾いた布で磨いて
手入れをしないとすぐにだめになる。
使った後の手入れが大変だが、
二人は面白くてよくやっていた。
今風で言うとバック転。大車輪。
色々な大道芸を彼女はして見せた。
二人は目を輝かせて、お美津の動きを見ていた。
一日も早く其れを覚えたいと毎日真剣になって行った。
お美津が教え終わっても、
二人は柔らかい草むらに残って
二人で、練習をした。
転んであちこち擦りむいたが、疲れて空を見ると
夕焼雲、飛んでる鳥、全てが二人は楽しかった。
お涼は鳥の動きで、卵があると走り出した。
くちばしに何も加えて無い。
まだ卵だ。
お涼について、夕菜も走り出した。
その日の雑穀米の粥に
うっすらと綴じた卵が混じった。
お涼と夕菜は顔を見合わせてニッコリした。
寛太が居たら、卵を温めている親鳥が
先に仕留められて、
鶏肉も入っただろう。
お涼が其の話をすると
夕菜も石つぶての練習をしたいと言う。
更に時間があると二人は
石つぶてで狙った葉を落とす練習をした。
お美津が来てから二人は少しずつ変わって行った。
体を思い切り動かす事が何より楽しかったが、
猿股を穿くと何故か身が引き締まった。
でありまして、くノ一なので、これからが大変なのでございます。
子供編までは何とかニコタウンブログに載せます。
お涼をくノ一に仕上げる編は最後の其れの経験をさせるので
載せられません。
どうしましょうねぇ。
更に15歳で実際に仕事に出る編はお涼達は精鋭の殺戮現場へは
まだ、出せません。
くノ一を利用した情報収集の見習いの予習だけですので、
其の経験が主です。
方法成るほど、そう来たので、そうしたのかと言うだけです。
其の間に村に帰ってレインジャーの訓練に加わりましたと
またまた、こう言うのが来たのでこうやって手練手管を使いましたと
言うのですから、お子ちゃまに良い影響を及ぼしません。
愛情など無いのですから。お仕事ですから。
でもって、子供編で終わったとしてもがまんしましょうね♪
想像力でカバーしましたww
誕生日が解らないので見つかった日が3つです。
でも、後で3つの祝いの稚児の踊りを父母の前で神社で踊ってます。
襲われる10日前の事です。3歳は過ぎて居る事は確かです。
夕奈が村に来た事は正解でした。
夕奈は侍の子として自覚して覚悟して育てらえます。
子供は環境だなと思います。
寛太もお涼も忍者として育てられます。
唯、此の村の特徴はもともとは14.15.辺りの足軽や城の飯炊き女が 多かった事です。
其れを3人の忍者が忍者として訓練させて村が出来て行きます。
其の為に子供を大切に立派に育て上げようとする大人が居た事が
幸いしてます。
厳しさの中に愛があるのが特徴です。
此れからどんどん忍者達は変化して行くかも知れませんが。
もっと緩い忍者村出身者も後ででてきますし、
もっと厳しい忍者村出身者も出てきます。
所で夕菜も中々でしょう。
15歳以上編で此処で載せられない場面の連続です。
其れがくノ一の仕事ですので、手練手管のたぶらかしです。
で、どうしたら良いか迷ってます。
此処には載せられません。
ほら、例の実践はくノ一は外せませんから。(`-д-;)ゞその・・・つまり・・・かどわかしと言う・・・。
わいろの代わりですし・・・。(´ー`A;) アセアセ
融通を聞かせられる当時の役人の幅ですので・・・。
毎日新聞の記者でしたっけ、其の反対版で情報を漏らして何だか罪になったけ。
あれ、そう言えば、つい最近どこかの議員が写真をがどうのこうのは関係ないでしょうけど。
そう言えば、他国でひっかかって「美人局 中国 」でググると出て来るどこかの党の代表も居たりで
現在もそうなのですから、当時はもの凄い数の国が切磋琢磨していたのですから。
でもって、お涼がくノ一としての仕事の一部の練習の旅編は載せられないかも・・・。
お涼ちゃん実際の年齢はわからないのですね?