regrets
- カテゴリ:勉強
- 2012/06/03 22:11:47
万軍の主は、こう仰せられる、
『わたしは、アマレクがイスラエルにした事、すなわちイスラエルが
エジプトから上ってきた時、その途中で敵対したことについて彼らを罰するであろう。
今、行ってアマレクを撃ち、そのすべての持ち物を滅ぼしつくせ。
彼らをゆるすな。男も女も、幼な子も乳飲み子も、牛も羊も、らくだも、ろばも皆、殺せ』」。
サウルはアマレクびとを撃って、ハビラからエジプトの東にあるシュルにまで及んだ。
そしてアマレクびとの王アガグをいけどり、つるぎをもってその民をことごとく滅ぼした。
しかしサウルと民はアガグをゆるし、また羊と牛の最も良いもの、肥えたものならびに小羊と、すべての良いものを残し、それらを滅ぼし尽すことを好まず、ただ値うちのない、つまらない物を滅ぼし尽した。
その時、主の言葉がサムエルに臨んだ、
「わたしはサウルを王としたことを悔いる。彼がそむいて、わたしに従わず、わたしの言葉を行わなかったからである」。
サムエルは怒って、夜通し、主に呼ばわった。旧約聖書 サムエル記上 15
「畏れる」・・・うむ。
確かにそうですね。言葉の表記は重要なもの
こちらに書いてしまい申し訳ありませんでした。
へぇ~「Fear」になるんですか?
ブログに書いたとおり電子辞書がありますのでw
確認のため「類語例解辞典」を見ると
畏れるはTo Humble Oneself
となっています(英語は苦手です)
使い分けとして畏れるは
自分よりはるかに力のあるものを尊い、怖いという気持ちを表す意。
神仏や自然などについて使い・・・・
とあるので「畏れる」のほうがいいかと思ったのですが。
素人ですのでw
私も昔、詩を書いていたので言葉の表記は気になります。
はい。彼も選ばれなかったです。
それとも捨てられたみたいな気がしますね。
自分が最近読むNLTやNIV、KJVのような英語版では「神を畏れる」という表現が
「Fear:恐がる」で書いています。
はい、そうですね。何時でも後悔している場合ではないですね。お言葉感謝します。
エサウも神様から選ばれなかった・・・・
長子の権利を軽んじましたからね。
神を畏れることができる者が選ばれるということでしょうか。
「神を畏れる」とはどういうことか・・と考えるとまたまた難しいですね。
みことばを忠実に行うというこてでしょうか・・・・
後悔しても神様はかならずそれを益として逆転させてくださる方だと思います。
はい、そうえすね。
サウルはなんだか創世記からのエサウに似ている気がします。
でも、サウルのような責任ある立場だったら厳しくされて当然なのでしょうね。
あ~キツイな、苦しいなと思うことはあるけれど、それは神さまが私を訓練されようとしていることを
思ってます。
つい愚痴が多くなってしまう私ですがつぶやかず行える者に変えていただきたいなと思ってます。