Nicotto Town



お涼の活躍エピローグ①(忍者物語)47


コーデはお涼が3歳 「3つのお祝い」で神社の奉納舞の時のです。

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その後、源蔵の掘った観音像が安置してる寺を訪ねる与一と佳代の姿があった。

あの佳代を抱きしめて、湯あみをしている時のお涼が居た。

正太が侍に剣法を習っている時に

遠くから見ているお涼の顔が在った。

正太が侍に褒められると

こんな顔をして、見ていた。

正太と佳代と結託して、わがままを通そうとすると、

家にはそんな金は無いと言って叱った後に、

その後少し寂しそうにして、

それからまた普通の顔に戻って

仕事をし始める。

あの一瞬の顔も光の加減で幸せそうな顔の中に

哀しさもどこかに見える其の心が中が見える様な気もする。


赤鶏寺にも一体が送られたと言う。
左程大きくない観音像だが、
美しい漆塗りの木箱に入っていて、
他の観音像とは別に本殿の中でも
和尚の部屋に近い所に置かれた。

其の観音像を見るとほっとする。

いらだった心が落ち着くとお涼を知らない人は言った。

年寄りまでが死んだ母親を思い出して、

苦労を掛けた詫びを許してくれると

言ってくれている様だと言った。

お涼を知っている人達は、

お涼に男山に誘導されて救われた。

今生きている自分があるのはお涼のおかげだと

生きている事への感謝の思いを言った。

子供達は母に愛されてる自分を理解した。

母のいない子は此れがそうなんだと想像した。


更に1年後にはお参りすると

子宝に恵まれる観音像になった。

別の人はお参りすると

良い母親になれる観音像だと言った。

無縁仏の身元が解るにつれて
檀家が多くなった。

また、遠い他の領地からも死んで無縁仏になった
身内がおさめられていると知って

寺への参拝者が絶えなった。

あっと言う間に、崩れ落ちそうだった寺の

塀を直す金がたまった。


更にその1年後にはお涼の事は忘れられて、

母親観音と呼ばれた。

痩せているのは、

子供に自分の養分を上げて育てるからだと

それほど親の子供を思う気持ちは深いのだと言われて

子供を連れて見せに来る親子連れが多かった。

或いは生きている内に親に感謝の気持ちを伝える為に

年老いた親を連れてくる親子連れも多かった。

痩せた小さい観音像を前に中年の男が

親に苦労を掛けたと詫びる姿が在った。

寺は更に横の山も買えて、急な階段から、

美しいゆっくりと花を楽しみながら、

寺へ来れる女道と言われる参道ができた。

その頃から赤鶏寺の和尚の体調がめっきり弱って来ていた。
食事の粥も口にしない日が続いた。


和尚は夢を見ていた。

3歳になった娘が祝いの踊りを待って居た。


何日も通って練習をして、

娘が踊る「稚児の奉納舞い」

敵国に襲われる10日前の事だ。


高く足を上げて、右に左にと体を揺らして飛んで鈴を鳴す。


其の愛らしさに妻と手を握って喜んだ。

ああ、頭を振って、ふりむいた。
ああ、こっちを見て誇らしげに笑った。
ほら、あの子が笑っている。



和尚は首を横に少し動いたかと
思うと静かに息を引き取った。

穏やかな死に顔であった。

和尚の葬儀はしめやかに執り行われた。

あちこちで大きな闘いの噂が流れていた。

時は動きつつあった。

大名と言われる領主も出始めていた。

人々は大切な物が失われた事を感じた。

「お恵み米」と言う言葉も初めて知った。


檀家しか入れない寺の領地の墓に庭を潰してまで、

美しい花々を掘り起こしてまで遺体を葬って下さった。

あの大量の遺体が野ざらしに成らなかったのは

此の人の「庭を潰す位、魂の尊厳に比べたら、にべもない」の

言葉に広い庭に咲き誇る紫陽花、

見事な牡丹、可憐なツツジが根こそぎ引き抜かれた。

広大な庭に次から次に穴が掘られて遺体が埋められた。

男か女かと大人か子供かを発見された場所が書かれただけの
名もなき卒塔婆一つ一つに幾日もかけて経を読む姿が在った。

人を人とも思わない此の時代にである。

お恵み米は此の領地のお米でない事はすぐに解った。


領主が米を出さないと解ると

隣国まで行って雑穀米を買って来て人々に与えた。

全て寺の金で工面した。

此の人が昔どこかの国の領主だったと言う。


民あってこそ、領主と先の領主に掛け合った話は

今でも、噂になって居る。

人々はそれが原因で前の闘いで未亡人となった

和尚の娘と孫を横恋慕していると言う噂のあった

家臣の一人に家にて保護せよと言う命令を出したのだ。

其の哀しい結末も知って居る。

自分達の事を思っている人を失った不安を

すがる様な思いで、

一つの小さな観音像に手を合わせる

人々の姿が在った。

和尚が死んでひと月後に一人の仏師が
腹を切って自害して近くの寺にひっそりと葬られたと言う。

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2012/05/13 22:11
レイダ様

エピローグ②の最初の部分は此の下に付くはずが忘れました。

もう、私、本当に小説家に向いて無いとつくづく思いました。

え~っと更に色々削りました。

でも、一人でも読んで下さってありがとう。

終わりまでと言うか、強引に終えちゃった。

お涼ちゃんの前に務めていた領と与一が住んでいた領土の名前を伏せる為に

変な文章になってしまいました。

自分ではイメージがあります。

でも、そこで本当にそんな事が在ったと言う感じにすると

地元の人に怒られそうなので自分のイメージだけで書いたので

其れらしき名前にする事もやめました。

明らかに隠しているとバレル書き方がまた、度素人で恥ずかしいです。

いっそ絶対にない頓珍漢な名前にして置けば良かったと思っています。

お涼ちゃんは死ぬ前まで一生懸命生きた事を書きたかったのですけど、

下手で伝わらなかったかもしれない。

きっかけは列車の線路に横たわって自殺した事件への怒りが発端でした。

死んだ女の子の幽霊のコーデでニコタウンをうろついたのですが、

此の歳になると、生きていて欲しいと言う思いがいっぱいあったね。

北海道ですから拓銀の株を買ってました。

老後の生活の糧です。

1200万円が紙くずになりました。

家族から、換金して置くようにと言われていたのだけど

当時の大蔵大臣の「シティバンクは潰さない」と言う彼の1週間前の言葉を信じました。

家族に責められて、ビルの屋上から飛び降り自殺をしようとしました。

でも飛び降りられない物です。

何度も上から下を覗きこみました。

足もかけて見ました。

ニュースで私など被害が少ない方だと知りました。

其の後、銀行を潰さない様にしてますけど、

私達は見捨てられたままです。

でも、生きていて良かったと思います。

貧乏な老後になりましたけど。

其れまでが夢の様な生活の名残が洋服ダンスに在ります。

其の後は貧乏な家になりましたが、日本中が今はそうなってます。

でも、その後もそれなりに楽しい人生を送ってます。

気持ちを切り替えれば、みえてこなかった物が見えます。
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2012/05/13 21:41
お涼ちゃんが亡くなって

寂しかったですが

この話を読んで、気持ちが楽になりました

やっぱりステキな人だったんだ

亡くなってからの方が、たくさんの人に会いに来てもらえる・・・

複雑ですが、そういう人もなかなかいないと思いました。



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