Nicotto Town



お涼の活躍19お涼死す2(忍者物語)39


コーデはめったに着せて貰えなかったお嬢の踊りのコーデです。
お涼は見事に踊って見せました。

お涼に取っては一番華やかな時でした。


========

医者は仕方なしに脈を診て、

みんなが諦め切れるように手を胸の所で組んだ。

そしてお涼の足を丁寧に伸ばして
乱れた裾をきれいにした。

切られたのは首の動脈だったのだろう。

其れが体半分川につかる事によって
普通の倍の速さで血が頭から抜けた。

更に今度は戸板で運ばれてくる途中に体の血が下に落ちて
更に背中からの血も抜けて

人形の様に白かった。

医者は顔に白い布をかけて
目が見開くたびにゆっくりと瞼を閉じさせた。

どれだけお涼がみんなに慕われていたのかは此の状態で解る。

外に出ようにも出られない
何かをしないと帰れそうにない。

やがて、末が持って来た白い布で
佳代が泣きながら着物を縫った。

こんな悲しい裁縫は無かった。

医者はお湯を沸かせた。

土間の釜戸にいつもお湯がある状態にされた。

それから、医者と薬屋に言われて男達が外に出された。

佳代と末と其れと医者でお涼に白装束が着せられた。

その時、ぱっくりと背中が割れていたので
医者の配慮で包帯が巻かれた。

このままだとあの世に行っても背中が痛いだろうと医者が言った

「母さん、お医者様が手当てして下さったよ」と
佳代はお涼に呼びかけた。

やがて白装束のお涼がきれいな布を引かれた布団に置かれて、
顔に白い布を置かれた。

祖父の棟梁の仏壇から仏具が
持って来られて線香がたかれた。


冬だったので遺体の腐敗は無いが死後硬直が
起こる度に佳代と与一と正太で目を閉じさせたり

手をさすったりして、きれいな遺体を保った。

線香を絶やさない様に末が線香を買って届けてくれた。

入れ代わり立ち代わり、人が焼香に訪れた。

源蔵もお涼の家の近くで人目をはばからず長い事、

手を合わせているのをこっち側の忍者が見ていた。

初めて源蔵が顔を仲間でない忍者に見せた時だった。

額にバツ印の傷があった。

間違いなく寛太が付けた傷だ。

源蔵はあの時の盗賊の棟梁で正にお涼を犯した後で
殺そうとした男だった。

寛太は見える目が一つになった感覚を取り戻そうと
何日も遅くまで山に入って鍛えなおしていた。

そして以前より強くなると京へ帰って、
其の盗賊討伐にまた加わった。

すざまじい死闘のあげく、
ついに寛太達は盗賊の棟梁や首領達を追い詰めた。

そして寛太が切り付けたのを盗賊の統領は
2度程交わしたがその時の傷が額のバツ印なのだ。

累々とした盗賊の死体を確認したが、
額にバツの傷のある男の死体だけが無かった。


其の頃、寛太が参考になる古い寺の庭の図面を
持って赤鶏寺についていた。


寺も2年前の闘いであれだけの遺体を埋める場所が無いので
最後は庭をつぶして其処も墓場にした。

壊された塀は直す余裕はないが、
せめて前庭だけでも整えたいと寛太に相談していたのだ。

外が騒がしかった。

お涼を埋める場所を決めに与一達が来ていた。

「何事ですか?」と聞く寛太に
赤鶏寺の和尚はお涼が殺された事を伝えた。

狼狽えた寛太は持って来た胸に入れていた、

お涼が山で見つけられた時に来ていたと言う着物を出して

抱きしめると呻き声を出して泣いた。

其の着物の生地を見た和尚の顔がみるみる変わってきた。

顔面蒼白とはこのことである。

「これは、どうした!、どこで手に入れた!お前は何をした!」

今にも、飛びかかってお涼の着物を奪い取ろうとする
和尚を押しのけて大切に胸に抱くと、
「これはお涼が、山でみつけられた子供の時に
来ていた着物です」と言った。

すぐにお涼の所にと立ち上がろうとすると

和尚が其れを止めた。

「そ、其れをもっと見せて貰えぬか。其れを・・・其れを」

哀願する様な必死な形相にとまどって
寛太は其れを和尚に渡した。

和尚の目から涙がぽろぽろと出て、

今度は和尚が其れを抱きしめながら、

畳に身をよじらせる様に屈んでじっとしていた。


寛太の案内で赤鶏寺の和尚が
籠で与一の家に駆け付けてきた。

寛太が言うには自分がお涼に仕事を頼んだので

こう言う事になったからと
和尚がどうしてもいうのでと与一に言った。

4つの四方に置かれた香入れにいい匂いの香がたかれて、

和尚が目を赤くしてお経を読んでくれた。



余程の身分が高い人以外は
其の地方では僧侶を呼んだり、

寺で葬儀をしないのだが、

全て寺もちで寺で明日葬儀をすると言う。


明日の朝、お棺を届けるので、

入れて持って来るようにと言われた。

アバター
2012/06/30 00:11
此の辺りは歳でしょう。
何人もの人を実際に見送ってきました。

少し前までは葬儀屋ありませんでしたから、身内の事は自分達でしました。

若い時はそれこそ冷蔵庫も水らしいあの「東京タワー」時代でしたから。

子供でも、夜中に線香を絶やさない様に周り番に入れられました。

良い匂いのするお香は仏様の近くに寺の配慮で置かれる時もありましたが

特別の場合でした。

死後硬直の世話も身内の仕事で何度も目をつぶらせたり

涙を流しながら、優しく声をかけて体をさすって直したりしました。

其れも死を受け入れる現実になりました。

其れがその後の空虚感を現実を思い知らされる事によって

諦めが付いて行きました。

長い事寝たきりなら別ですが、事故となるとどうしても納得がいかない物です。

お涼は突然だったので其の様子で家族が死を受け入れざる得ない事を

少し表してみました。

詰り、其れと比べると忍者の「遺体確認、未確認」ですませる事の

違いをきわただせました。

其の死の対しての非情さを出したのと、戦国時代の侍達の立場、忍者の立場、庶民との死の受け入れ方。

そして庶民は仇討ちを考えないけど、夕奈は決意している事。

そして忍者も此処に書いて無い大人版では仲間の死を割り切って無い事も少し出しました。

アバター
2012/06/29 20:48
臨終のところから、死に装束や納棺の前後を詳しく綴るお話は珍しいと思います。
今でこそ「お見送り致します」などの作品がありますけども
それでも少ないと思います。

 和尚とお涼との関係は気になりますが知らぬふりをするのもときには優しさなのかも知れませんね。



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