中臣鎌足
- カテゴリ:勉強
- 2012/04/28 22:02:20
中臣鎌足
私は蘇我入鹿が嫌いです。
様々な悪態を繰り返し
だけれども豪族と機転のよさを利用して
罪も問われず注意勧告で終わる蘇我入鹿。
私は周囲から蘇我入鹿と共に秀才と言われてきましたが
どうも納得がいきません。
秀才と呼ばれるのは私だけで結構です。
専横を繰り返す蘇我入鹿と一緒にしてもらいたくはない!!
このままずっと憎き蘇我氏の独裁政治を
「はいそうですか」と
指をくわえて見ているなんて絶対に許さない。
私は蘇我氏打倒へと決意したのです。
これは本当に偶然の出来事でした
どうやって憎き蘇我入鹿を一網打尽にするかと法興寺で案をねらっていたところ
ちょうど目線の先んは蹴鞠をしている青年の姿。
衣服からしてとても高貴な身分のお方でしょう。
無邪気に遊ぶそのお姿。
なんとまぁ・・・平和でございますね・・・
「あっ!」
青年が鞠を蹴ると履いていた靴が天高く飛びました。
靴が弧を描き私の目の前に落ちてきます。
あれ?フラグ発生してないかコレ?
まあやれやれ。
蘇我入鹿だったら靴をそのまま放置するでしょう。下賤な奴ですからね。あいつは・・・
しかし私は違う。
ここは靴を拾い差し出すのが人情です。私はいい人間ですからね。
「すみません~」
靴を拾いあげると
申し訳なさそうに片足の靴が脱げた青年がやってきました。
「あっ!貴方様は!!」
私は思わず畏まってしまいました。
楽しそうに蹴鞠をしていた青年は実はなんと
舒明天皇の御子続、中大兄皇子だったのでございます。
靴についた埃を払い
両手で中大兄皇子に靴を差し出すと
「そんなに畏まらないで下さい。
靴、拾ってくれてありがとうございます。」
爽やかに笑う中大兄皇子。
ときめいたw
まさにこれは運命の出会い。
後に
中臣鎌足と中大兄皇子は親しくなり
大化の改新(乙巳の変)で蘇我氏を滅ぼし
中大兄皇子は天智天皇の座に
中臣鎌足は藤原氏の祖となる。
~ウィキペディア参考~
補足
中臣鎌足
614年~669年
蘇我氏打倒を計画中に偶然、中大兄皇子と運命の出会いを果たす。
このまま中大兄皇子とタッグを組んで
飛鳥板蓋宮正殿で蘇我入鹿を暗殺するクーデターを起こし(乙巳の変)
中大兄皇子は天智天皇となり新政治が始まり(大化の改新)
中臣鎌足は天智天皇の側近として信頼も熱い。
天智天皇から大織冠を授かり藤原の姓を頂き、藤原氏の祖となる。
過去に作った作品です。
駄作だなと思いながらも
せっかく作ってみたのだからとブログに載せてみました
せっかく作ってみたのだから作品
これからしばしば続きますd (。・w・。 )
お返し水遣りです!
ライバルを蹴落とすために皇子を担ぎ上げてクーデター起こした鎌足、パネぇ!。
※葛城=中大兄皇子の実名
重なって現れるものですね。
これだから、やっぱり歴史って面白いや。
(うちって登場人物がなかなか覚えられないんだよね~。残念です!)
タイトルに惹かれて拝見しました。
中臣鎌足。
私の父方の系図を見ると、その名が記されていました。
私の系統は、4・5代前に本家から分かれた家で、祖父の兄弟が写しを持っており、3年前にそれを私が写して持って帰りました。
祖父の兄弟が所持していた系図の写しは、昨年の津波で家ごと流されて行きました。
このとき写してこなければ目にする機会は永遠に失われたと思うと、何ともいえぬものを感じます。
歴史ってこんなに面白いんですね
だから歴史は面白いですね^^
蘭丸さんのお話はわかりやすいので
とっても楽しみにしてますね^^
中臣鎌足と中大兄皇子にこんなフラグがあったなんて
初めて知りましたヽ(´▽`)ノ
蘭丸さんのブログ読んでると
今まで、そんなに興味なかった時代にもどんどん興味湧いちゃう❤
中学校以来だなぁ。あんまり覚えていないものですね(笑)
お話楽しみにしています!!
って、読むんだよね?
ふりがな、ないと、読めない人、多いかも?
この時代の歴史を全然覚えてません;;
イルカを殺すと
グリーンピースが
文句言ってきますね^^
でもタイトルを見て「おっ」と思い読ませてもらいました。
これはほんとの話かどうか・・・というか嘘だとは思うんですけど、
うちはこの藤原家の子孫だと子供の頃にオヤジから聞きましたw
家計図もあるなんてほざいてましたが、まったくもって信じてません。
でも今度聞いてみよっかなって思いましたw