昔、男がおりました。
男の家は代々舞を舞うことを生業としており
時には帝や神仏に舞を奉納することもある名家でございました。
男も幼い頃から舞の稽古に励んでおり
青年になった頃には誰もが男の舞にため息を漏らすほどでございました。
しかしながら、
男が自分の舞に満足することはなく
常にもっと上を、もっと美しく舞いたい、それだけを願い続け
一層稽古に明け暮れていたのでございました。

ある日、
男は自分の家の敷地に建つ大きくて古い蔵がふと気になり
そっと中に足を踏み入れたのでございます。
さすがに代々続く舞の名家と言うこともあり、
蔵の中にはたくさんの面が所狭しと並んでおりました。
男がその面の１つ１つを丹念に眺めながら進んでいくと
蔵の一番奥の暗がりの中から
誰かが自分を呼んでいるような気がするのでございました。
吸い寄せられるように奥へ進むと
そこには恐らく面が入っていると思われる
小さくてひどく古びた箱があったのでございます。
箱の表面には「封」と記された小さな紙切れが貼り付けてありましたが
男の指がそっと触れただけで、
いとも簡単にはらりと剥がれ落ちてしまったのでございました。

男がその小さな箱を壊さぬように気をつけながら開けてみると
思ったとおり、中には古い面が収められていたのでございました。
「ほう・・・」
男はその古い般若の面の出来栄えの素晴らしさに
思わず感嘆の声をあげたのでございました。
一見すると恐ろしくて禍々しいその面の奥底に
何か狂おしいまでの情念と哀しみが垣間見えるような、
それが男の心を強く惹きつけてならなかったのでございました。

男は蔵から持ち出したその面を身につけて
舞を舞ってみたのでございました。
すると、舞を見た者のある者は口を開けたまま惚けた様になり
ある者は涙を流してすすり泣き、
舞い終わって少しの間は誰一人声を発することも出来ないほど
多くの者が舞に心を奪われてしまったのでございました。

男は、生まれて初めて自分の舞に心底満足したのでございました。
この面があれば自分はもっと高みに登ることが出来る、
その為にこの面は自分をずっと待っていたのだ、
自分とこの面が出会ったのは運命に違いない、
そう考えたのでございました。
　
　
　
つづく