言葉にできない3.11
- カテゴリ:ニュース
- 2012/03/12 12:20:42
え~~~、日曜は、庭の手入れをしていたそらかけでふ。
梅の木を、思い切って切り詰めて、お~~きな梅の実にな~~れ!と、呪いをかけておきましたw
切った枝をお部屋に飾っているので、梅のかほり・・・・でいっぱいです。
3月11日、昨日のお友達のブログ、たくさん読みました。
わたしね~~~コメもあまり書けなかったんです。ごめんなさいm(__)m
まだ、私の中では、あのことはまとまって書けないらしいです。いろんな出来事が交錯しましたから。
感情も複雑で、まとまることはない。これが万感の思い、ということでしょうか。
というわけで、あの日からの私の出来事を、すこ~~し書いてみますね。
2時26分、自宅に息子と一緒にいて、お昼を食べたところでした。
揺れにびっくりして、息子と身の安全を確かめながら、じっとしていました。そして停電。
まあ、停電なんか30分で終わるだろうと、私も息子も、午後は予定通りに動き始めました。息子は図書室に受験勉強に。私は花粉症の薬をもらいに耳鼻科へ。
耳鼻科は歩3分の駅ビルにあるのですが、駅も停電で客を全員ホームから出していました。駅前は人だかりです。
駅ビル内の東武ストアも、停電で販売ができない。そこが、ラジオを大音量で聞かせてくれていました。人ごみの中に入り込んで聞いてみると、東北地方の地震で大変なことになっているらしい。津波がきてるらしい。
スーパーがみんな停電で販売してないのに、コンビニは手作業で食べ物を売ってくれるので、長蛇の列になっていました。そのうちに、スーパーもお弁当やお惣菜などを道路に並べて売り始めました。
そうか、ガスも電気もダメなら、食べ物なんとかしなきゃと、家にひきかえして、カセットこんろでゴハンを炊きました。
息子はいったん帰ってきて、バイト先へ生徒の安否確認と、今日は休講の連絡を出しに行きました。
私は母の安否を確認したくても、電話不通です。そのうち息子の友達がきて、家族全員東京に出かけているとのこと。もう、うちにいなさいといいましたが、友達の安否確認に行くといって出て行きました。
6時。暗くなってきて、電気はつかない。おにぎりをこしらえていると、息子も友達も帰ってきました。ありったけのろうそくと懐中電灯。火のつかないこたつ。8時過ぎに相棒が帰ってきて、本宅は電気が通じてるからあっちに避難しようといいました。
家族3人+息子の友人。4人で自転車で本宅までの30分。道路は大渋滞で、自転車やら徒歩で帰宅の人たちがいっぱい歩いていました。線路も徒歩で帰る人が大勢います。
本宅ついて、電気の明かりに安心し、普通にお風呂に入っておにぎりの夕食。夜中の12時すぎに息子の友人の家族の所在がわかりました。池袋の避難所にいるとのこと。私も母と電話が通じて、やっと安心して眠りにつきました。
次の日、ようやく電気の通じた自宅マンションに帰ってきて、PCを立ち上げると、会社から10通くらいのメール。
「大事ないか」
「仙台営業所と連絡がつかない。お前も連絡してくれるか」
「大学病院にきて、仕事できるか」
「被災地に応援にいくことはできるか」
すべてにOKの返事を出して、私は大学の先生の言葉を思い出しました。
「お前たちは、ここで一生懸命に勉強をして、薬さじ一本白衣一着だけ持って、日本中に散れ!世界中に散れ!
何も考えてなくていい。ただ、目の前の人たちのお役に立てばいい。それだけでいい。」
そうか、そのときが来たんだ、と、妙に納得しました。
当時の事、「えっ!?そうだったの!?」って今更ながら知る事、まだまだたくさんあります。
いろんな情報が飛び交って、表面上の建て前、隠された真実、でもホントにそれが真実なのか……
なるべく情報を得ようとテレビを見ても、「そんなの偏った情報。ホントはもっと違うんだよ」って
どんどんわからなくなる。
取りこぼした情報、間違いだったことに気付いてない情報、たくさんあるはず。
だから3.11も報道のテレビを見たりはしたけれど。
やっぱり自分の中で消化しきれません。
それで、そらさん達がおっしゃっていたことも、最近ようやく飲みこめました^^;
それでも、この震災が「起こって良かった」「そういう法則で仕方ないこと」「浄化」などとは、信じたくないのです。そういうことも、誰にも言って欲しくない。みんな、大切なものを奪われた人も、そうでない人も、同じく悲しんで怒っていますから…。
しかしこの悲劇が、世界にも何かをもたらしていたことを、昨日のニュースで知りました。
追悼の日、全世界で発生時間に黙祷が捧げられたそうです。それを見て希望を感じるとともに、しみじみと私も、何か納得しました。
ただ、過去にしちゃならねぇ!!と昨日の被災地の映像を見て強く思いました。
フクシマ原発も次に地震や津波きたらどうなるのか・・とても耐えられる状況には無い気がします。
まだまだようやく復興への一歩って遅いですよね><
犠牲になられた方々のご冥福をお祈りしつつ
あのとき、全力でお仕事に当たられた方々に感謝を
そらさんもその一人でしたね
夜が明ける前の暗闇で怖い思いをしましたねぇ。
幸い電気もガスも通じていたので、友人や家族、会社との連絡は出来たし
数日は買い物に行かなくても良いくらいの食料や水を備蓄していたので
TVを見ながら家に籠ってました。
香川の実家に戻って一年、あの揺れが来たら、我が家はどうなることやら……^^;
それよりも 今度は関東で大地震が来ると 騒いでおりますが
どーします?