☆後白河法皇
- カテゴリ:その他
- 2012/01/31 00:06:58
源頼朝に「大天狗」と言われた後白河法皇は摂関家と親しかった源氏の力を弱めることを企み、まず平清盛ばかりを重用することから始めた。このことが後に源儀朝が藤原信頼と組んで平治の乱を起こすきっかけになる。一旦は幽閉されるが、清盛の反撃により目的は達成する。
だが、勢力を伸ばして来る清盛が邪魔になったため、平氏打倒のため鹿ヶ谷事件を起こすが、逆に幽閉されることになり、平氏の独裁体制は強固なものになっていく。
しかし、平氏への不満が高まってきたことを利用し、清盛の独裁を打倒するため息子・以仁王を唆し源氏を挙兵させ(源平の戦い)、源義仲の活躍で平氏を都落ちさせる。その後、義仲の勢力が目立ってくると頼朝に義仲討伐を命じるなど、「出る杭は打て」の連続になる。
さて、勝ち残った源氏の兄弟だが法皇にしてみれば目の上のたんこぶである。今度は兄弟を戦わせて共倒れを企む。まず、頼朝に無断で義経に官位を与えることによって兄弟の対立を煽ることから始める。さらに、義経に頼朝討伐の命を下すが、挙兵は失敗に終わる。すると、今度は頼朝に義経討伐の命を下す。
死ぬまで権力に拘った法皇ではあるが、頼朝だけはどうにもならず、法皇の死の直後、頼朝は征夷大将軍になった。
今様オタクでも権力闘争を上手くかいくぐれた御方。
松山けんいちはいいけど、この時代ってかなりのドロドロなのねえww