だから無意味じゃない
- カテゴリ:日記
- 2011/12/18 01:24:45
小中学校でやってた時分には、家庭科という教科に意味があるのか、疑問に思っていた。だってさ。現に授業中、無駄だとしか思えない状況に結構遭遇したから。
当時家ではもう少し手伝えと母に嘆かれ、現在でも家事は不得手(ってか駄目ダメな部類だ)な人間だけど、それでも調理実習の時には包丁の扱いがマシで、主力調理要員だった。
別にわたしが器用なわけでもマメなわけでもなく、単に食い気につられて果物むく等々をしていた、プラス、要領が悪いので人が面倒くさがる作業をする羽目になっていただけのことだ。
「きゃ〜、目が怖い〜。残酷ぅ〜」なんぞと言われながら(下手なのに)魚をおろしたりしていた(でもって、魚をさばかず好き放題言っていた人間は、その割に料理を平気でモキュモキュ食べていた。何なんだよ)。
機会を設けてもやりたくない人は手を出さず、で、根負けした人間が作業しているのじゃないだろうか。
だが、授業であまり行動しなかった人も、今頃はきっと普通に料理をしている。
当時他人に魚の処理を押しつけていた人も、その場では血とかハラワタで手を生臭くしたくなかっただけで、おそらく、今はわたしより料理が上手くなっているだろう、きっと(と思える自分のズボラさと不器用さがうらめしい)。
本当のところ、よほどの味覚音痴等々でもないかぎり、料理は必要と、慣れと、やる気の問題だろう。
授業など受けずともその気さえあれば、よほど特殊な道具や調理法でないかぎり、本なりTV番組なりネットなりを見て、望む料理を作ることができる。
被服方面にしても同様。
持ち物に裁縫箱が加わったのは学校で家庭科が始まるより前だったし、ボタンが取れれば誰だって針くらいは持つ。
もっとも、被服へ理解をもつためには、そこそこの(学校で作ったのは小物アレコレとパジャマとスカートだった)服を縫うのは悪くないかもしれない。
なので一般的な家庭科の必要性にずっと疑問をもっていた。
が最近、料理等の知識を授業で学ぶのは無意味じゃないのでは、と思うようになった。
体力・気力が地を這っていたりすると、食事がいい加減になりそうになる。
本音を言えば食べることから面倒なのだが、作るのはさらに面倒くさかったりする。
それでも基本、タンパク質と炭水化物、でもって野菜〜、とメニューを考える。必要だ、と自然に思うからだ。基本的な知識・常識として頭にあるからだろう。
知らなければ……熱量だけとって、結果ひっくり返っていたかもしれない。
(ドン引かれるかもしれないけど、本気の不精者ってそういうモンです。ハイ)
だからって、わざわざ義務教育で教えずとも、とも思う。TVや新聞等々でも基本的な知識は喧伝されている。
けど、でもね。
興味がないことは、まるで聞かない、憶えない人もいる(生活がらみのことはともかく、ジャンルによってはわたしも他人のことは言えない)。
生活に最低限必要な知識として教えることで、やっと意識する人もいるだろうと思うのだ。
アメリカの食の状況をTVで紹介していたのを見て、
「野菜、野菜、炭水化物と肉はあるけど、野菜どこ〜」
と呻いたことがある。
あのメニューで抵抗を感じないのかと不思議だったが、あちらの公教育では家庭科的なこと、栄養の知識等は教えないのだと最近知って腑に落ちた。
知識として知らず、世代間の生活知識としての伝達がなかった場合……そりゃカロリーとりゃいいやになる。
やはり基本的な、基礎的な知識は必要で、それを伝える物としての公教育って大きいのだと思う。きっと。
慌ててちょっといじりましたが、やっぱりまだ読みづらいです。スミマセン。
絵夢さん
いつもながら、絵夢さんのご意見を読むと自分の大人げなさを実感します。
その大人な落ち着きが自分にもほしいですorz
躍り食いや活け作りは、わたしも駄目です。
たい焼きでさえ「無駄に苦しむのでは」と、最初に頭を食べる気弱な人間ですw
corraさん
さしすせそ以外で汎用性の高い調味料はオイスターソースあたりでしょうか?
もしかして炒め物ばかり作りすぎかもw
必要と慣れとやる気意外にセンスがあると違うのでしょうが、わたしはその辺欠けてるっぽいですorz
ぼーるがーどさん
知識って知恵そのものではないけど、力なんですよね。
義務教育を「教育を受ける義務」だと思っている人が結構いるみたいですが、「国や保護者が義務として与えることを定められた教育」なんですよね。受ける方からすれば、権利。
問題もありますが、それでも万人が教育をうけられる日本はよい国だと思います。
料理は……ええと、頑張りますw
知ることの大切さ、無知の恐ろしさ
それが、米国の今の姿を生み出したのだと思います
最低限の教育を受けさせる義務がある日本、って、いいところだと思いますよ
料理は……お疲れさまです^^;
全く、身を以って実感しています^^;
あと、調味料と道具との折り合いですね~
独り身だと種類が揃えられない。。。
無意味なものがあったとしても、それが無意味とわかったこと自体に意味があるので、
意味のないものはないかなぁと思ってます(^^)。
その場でさぼってても、いやでも耳に入ってきたり、見たりするだけでも教育になりますよねぇ。
そういった知識や経験って、日常すぎて気付かないだけで、日々の生活の基盤になってるんでしょうね。
家庭というものが崩壊してる感のある現代、学校が最後の砦なのかもしれません。
それをいいことに、家庭での教育を放棄する親もいますが・・・。
個人的にどうも血が苦手で、魚さばける人を尊敬します(^^)。
生きていないとはいえ、そのままの姿に刃を入れたり、実験したりするのが・・・。
なので踊り食いとか、活け作りとか、姿そのままの料理はダメです(^^;。