Nicotto Town


何でも屋のブログだヨン


JAZZの名盤


エリック・ドルフィー 時代を先取りしたがゆえんに、当時の聴衆からは理解を得られず、当時彼を理解し、共感していたのが、コルトレーンとブッカー・リトルでしょうか。
ゴッホやレンブラントを思い浮かべますが、よく似た心境だったかも知れません。
フリージャーズとの狭間に生きたドルフィーの演奏は、シェーンベルクを思わせられます。

Left Alone


http://www.youtube.com/watch?v=tBUNepCYH08&feature=related

アバター
2011/11/19 08:00
お金がないと生きてけないもんね。。

うわああああああああああああんっ!!

小暮より
アバター
2011/11/18 21:01
補足です。エリック・ドルフィーは、ブッカー・リトルとのコンボを組み、ファイブスポットセッションでの名演奏を初めとして、ブルーノートでのアウトトゥランチ、そしてライトデイトと、そのどれもが歴史に残る名演奏です。ところが、ブッカーリトルとの歴史的なコンボを結成して間もなく、リトルが病気で急逝し、彼の音楽に対する姿勢が落ち込んだときに、コルトレーンが誘いをかけて、一緒に演奏しました。インパルスレーベルのインプレッションズを初めとする60年代前半のコルトレーンの名盤ですね。でもそのときも、ドルフィーのソロではヤジとかひどかったようですね。あまりにも、前衛的だったからですね。ところが、ヨーロッパでは受け入れら、好評だったようで、後にミンガスとパリツァーを行い、その後、死ぬまでヨーロッパにとどまりました。彼の演奏が本当に受け入れられたのは、1970年代になってからですね。もちろん、多くのミュージシャンが彼の模倣、特にロフトジュズの中心的存在のオリバー・レイクのコメントでもそうですが、現代のジャズシーン、特に先進的なサックス奏者にとっては彼の演奏は避けて通れない存在でしょう。
それは、クラシック音楽では、12音技法を編み出し、現代音楽への道筋を付けた、シェーンベルクにも共通するところがあります。当時のウィーンでは彼の音楽を受け入れるにはあまりにも時代が早すぎたでしょう。
そして、思うのが、レンブラントですね。最高傑作とうたわれている「夜景」を書いたがために、当時の貴族から見放され、絵が全く売れなくなり、つまり、画家の絵に対する芸術性を理解できずに、単に綺麗な肖像画のみをもとめられたパトロンとの距離がどんどん彼を追いつめ、その最期は、モーツァルトと同じように貧乏のどん底ですね。
ゴッホもしかりです。ぼくが思い浮かべるのは、ものすごい価値の高い芸術作品を残しながらも、貧乏のどん底にあったこの4人が頭から離れないのです。
アバター
2011/11/18 20:35
ごっちゃにしないで!ぷんぷん



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