母の命日にお茶を煎れる…
- カテゴリ:人生
- 2011/11/18 16:58:12
一年が経ち、
また母の命日が巡ってきました。
明日は雨とのこと。
ちょっと残念ですが、
遠くに海が見える墓地まで、
傘を差して出かけて来ます。
そういえば、
母のお通夜から葬儀の日にかけて、
一晩中、大雨だった…。
命日の前日である今日は
年末の支払いに備えて、
定期預金が満期で解約になるように手続きしたり、
来年の仕事のスケジュールを調整したりと、
野暮用がほとんど。
…来年の仕事かあ…。
ここ数日、
年俸がダウンしたスポーツ選手、
あるいは、
「長い間、ごくろうさまでした」
の言葉と共に自由契約を告げられ、
引退に追い込まれた選手の気持ちがよくわかります。
…私も成績あげてないから、仕事が減るのも無理ないなあ。
…実力勝負、甘えなど許されないとは言え、
ちぇ、世間の風は冷たいや。
背中を丸め、
木枯らしの吹くオフィス街を
一人歩く安寿さんがいたのでした。
午前中で野暮用はあらかた片付いたので、
先週、このブログでも紹介した
母娘で営んでいる手打ち蕎麦に入って、
蕎麦と麦とろご飯のセットを食べることにしました。
先の土曜日から、
この秋収穫の蕎麦粉で
蕎麦を打ち始めたとのこと。
おお、らっきー。
その後、近くの和菓子屋に寄り、
和菓子を二つほど買って自宅に戻り、
母が残したお茶道具でお茶を煎れてみました。
茶道は母が習っていました。
私は茶道とは無縁で、
美味しく入ったお茶と、
ちょっと品の良いお菓子があれば、
それで良いというもの。
でも、母が自宅で茶道の練習する際、
私は母のお相手役を務めていた関係で、
道具の扱いなら一通り覚えています。
(和菓子が食べられてお茶が飲めるので、
母から声が掛かれば、
「ほいほい待ってました」と
練習に付き合っていました。 ☆\(ーーメ) )。
ですから、
道具を壊すことなく、
お茶を煎れることならできるのですが、
作法や風流とはまったく無縁の
自己流のお茶なのです。
…ずずずず~。
自己流ですから、
一杯だけなんてケチなことは言わずに、
何杯もおかわりしてしまいます。 ☆\(ーーメ)
…ずずずず~。
ああ、美味しい~。
お菓子も美味しい~。
明日晴れれば、
野点用の道具を持ち、お弁当も持って、
母のお墓の前でお茶を煎れてあげようと思っていたのですが、
残念ながら、天気予報の予測は雨。
ですから明日は、
傘を差し、花を下げて、
とぼとぼと一人
雨の中を歩いてきたいと思います。