煙突
- カテゴリ:勉強
- 2011/11/14 23:39:42
ある学生と先生の話。
先生「君には資格が無い」
学生「如何してですか。せめてテストでも!」
先生が曰く
「・・・・二人の少年が煙突の掃除をした。
その後、一人の子は汚い姿で、
また一人の子は掃除の前とその姿が変わっていない。
では、君は誰が顔を洗うと思うのか。」
学生は曰く
「それは同然汚い姿の少年の方ではありませんか。」
先生は、
「そんな所が君に未だ資格が無いって事だ。」
「清らかな姿の少年は汚い姿の少年の顔を見て
自分も汚いと思って顔を洗うだろう。」と話した。
すると、学生
「先生、ようやく思い知りました、もう一遍機会を!」
先生が曰く
「・・・・二人の少年が煙突の掃除をした。
その後、一人の子は汚い姿で、
また一人の子は掃除の前とその姿が変わっていない。
では、君は誰が顔を洗うと思うのか。」
学生は曰く
「同じ問題ですね。
それは同然姿の変わっていない少年の方です。」
先生は、
「やはり無理だ、君は。」
「二人の少年が煙突の掃除をしたので
何故一人だけ汚いのか。そんな訳無いだろう。」と話した。
コメント、有難うございます。
おお、又このような解析が有るとは・・・
先入観、はい。確かに。
つまり先入観は自分自身の狭い考えの中から心理的に命令を言い出す存在。
これに執着し、逆に自分がその執着に支配されてしまい、4B様の仰るとおり
「色んな角度から物事を見極める力」が無くなること・・・
同じ問題を二度遭遇した学生さんですが・・今度も先入観の支配によって・・・
この単純な話から色んな方々から色んなお答えが出るのを見るだけで
僕は今日、重要な勉強をしました。感謝致します。
学生さんは「誰が顔を洗うと思うか」に対して、「誰が・・・どちらかが」
「洗う・・・洗った」と思い込んでしまったのではないでしょうか。
というか、同じ問題を出された時点で気づくべきだと思いますが。。。
色んな角度から物事を見極める力をつけないと先生は言いたかったのでは
と思いました^^
コメント有難うございます。
流石に・・・立派なお答えでした。
これは、僕が思ったより問題に対してのご理解が深くだと・・・
改めて申すと、僕はそれまで想わなかったです。
他人の間違いやミスには厳しいながらも自分自身の心にはより寛大。
自己中心・・・・結局これが色んな争い、恨みなどの原因になっているかも知れません。
今度は僕がとおる様から教えてもらいました。感謝致します。
中々難しい問題ですね~(笑)
心の中をよく見なさいということでしょうか?
私たちは自分が一番。
自分は正しい。
自分が・自分がという中で毎日を歩みます。
自分自身の心の中を深く見つめると、汚く濁った心であることに気が付きます。
いかに自分中心の物の見かたであったかと・・・。
「欲にまみれた自分の心を認めた生き方を心がけよ」ということですね。
お皿を洗います。
洗っている途中でお皿を割ります。
すると、私たちは自分が割ったのに、「お皿が割れた」と言います。
また、人が洗っていて、お皿を割ると、「お皿を割ったな」と言います。
自分は悪くないと思いたいんです。
本当に救われようのない物の見かたですね(^_^;)
子供を育てるお母さんにも見受けられます。
子供が走っていて、机にぶつかって泣いています。
するとお母さんが走り寄って、「どうしたの?」「机で頭を打ったの?」
「お母さんが机に怒ってあげるからね。」
「机さんダメでしょ。」って・・・。
すると子供は泣きやんで、また遊び始めます。
子育てから間違いは始まっているのかもしれませんね(笑)