きっかけは父の形見のカメラ。
- カテゴリ:30代以上
- 2011/10/13 17:58:24
これ以上ツツム様の所に書くと「荒らし」になるので、自分の所に書く事にした。
何十年も前の話である。
父が死んでしばらくして私に父のカメラを形見分けとして貰った。
父はカメラに凝っていた。
叔父に古いライカ?か何か叔父が欲しがっていた海外製のカメラが行って
覗き込む黒いカメラだったと思う。
私にはコニカ或いはニコンのカメラが来た。
皮の頑丈なのに包まれたカメラだった。
私も母もカメラなどいじった事が無い。
父が子供ながらに大事そうに磨いていたのはうっすらと覚えているが
子供達も含めてカメラの傍に寄せ付けなかったので、
カメラを出して居る時はふすまの傍から覗く程度だった。
突然カメラを渡されて、使わなければ意味が無いので
さっそく近所のカメラ屋さんへ行ってフィルムを入れて貰って
家族を含めてあちこちを映して、カメラ屋に持って行った。
出来てきた写真は殆どが煙を炊いたようにピンボケを通り越していた。
此れは写真屋の現像が悪いのだと思った。
そこで電車に乗って繁華街の大きなカメラ屋に今度は現像を依頼した。
そして、写真ができる日にまたお金と労力をかけて電車に乗って
写真を取りに行った。
出来た写真はまた白いのが続いているだけである。
私は切れた!其の写真屋にまともに現像もできないのなら、
写真屋を辞めるべきだと抗議した。
自分がいかにお金と労力をかけて此処まで通って来たのかを話して
近所よりマシな仕事ができると思ったのに何事だ!
或いはカメラが壊れているのかもしれないので其れならそれで
最初に言ってくれれば良いだろうと其の不親切さを詰った。
街の大きなカメラ屋は他の客の手前、汗をかきながら
無料でカメラが壊れてないのかを点検してくれることに。
客達も集まってきて父のカメラを称賛していた。
そしてこのカメラで良い写真が取れない訳がないと言った。
数日後、行くとカメラはどこも壊れてない。
見事な写真が取れたとの事。
其れではやっぱり現像の仕方が悪いと言う事になる。
せっかくの写真を、しかも何度も交通費をかけて此処まで来て、
なんて事なのと言う事である。
ふと写真屋はフイルムを入れて此処で写真を取ってみてくれと言う。
フィルムが無料ならOKをした。当時はフィルムも交通費同様高額であった。
カメラを覗いてぱちりとシャッターを押した。
その様子を見て、呆れた顔の周りの人々。
私はなおもいろいろ向いてシャッターを押した。
店員はもう何度とっても同じだから良いと言う。
何も映ってないだろうと言う。
そしてレンズの横に在る色々な回すものを説明しだした。
詰りピントの合わせ方を説明し始めた。
二つのレンズの横のポチッとした所を押しながら
ピントを合わせるのである。
何だ、そういう事かとふむふむと一点変わって
しとやかにお礼を言って帰って来た。
次に写真を撮ったが人物は写ったがやっぱり暗かったり、
白かったりと色々である。
で、また高い交通費をかけて街の写真屋に。
写真を見せて、これって可笑しくないかと聞く。
要するに写真が黒っぽい。
すると今度は曇りと、晴れた日によってレンズの横に在る小さなレバーを
変えなければならないと教えられる。
更に対象がどのくらい離れているかを。
切れたね!完全に切れた!
此のカメラの会社の人が納品に来るのは何時かと聞いた。
私が話があるから、待たせて置くようにと言った。
で、納品しに来た其のコニカかニコンの社員がどんな苦情を言われるのかと
明らかに緊張しているのが解ったけど、こちらは女子高校生、相手は
勿論社会人。
でも、言っておきたい事がある。嫌、言わなきゃならない事がある。
で、まくしたてた。こんな使えないカメラを何とかしろ!
めんどくさくて誰も使えない。
会社に電話しろ、社長を出せ!私が一言言ってやる!
其の会社の人が見ていたら、あの時の女子高校生が私です。(*´ェ`*)どうも・・・。
絶対に会社に電話をしないと帰らないと言う私に、
店も其の人も困り果てて、本社に電話。
カメラを作っている会社の恥を知れ!と怒鳴っているのを
其のカメラ会社の社員が説明している。
「どちら様ですか?」の問いに一言「お客様です」と毅然と言いかえした。
要するに私にも使えるカメラをカメラ会社のプライドにかけて作れ!と
此れは、お願いではありません。客としての命令です。と言えと其の社員に。
とりあえず、会社で検討するとの返事を貰って、怒りが収まって帰る。
それから、教えて貰った何メートルかをだいたい入れて、
天候を考えてレバーを上げたり下げたりして、
ピントを回して合わせてと
写す人を待たせるが撮れた。
写真に凝っている人が花や景色を取る意味が解った。
待たせてもじっとしていて文句を言わないからね。
その後、幾度か其のカメラ屋に行って色々なカメラ会社の
人と話をした。
少しでも動作を減らして欲しいと言った。
数年後に簡単に写せるカメラが何処かの会社からできた。
多くの人が私と同じ意見だったのだろう。
後づさり、だけでした。
たぶん、最初は私のカメラに興味が在ったのだと思います。
詰り子供なのに、とても考えられないカメラを持って行ったのですから、
其のカメラの扱いを知らないとは想像が出来なかったようです。
写真部が当時はやってましたから、写真部と誤解したのかも。
何度も使い方、写真の撮り方とか、何に注意をしなければいけないのかを
写真を現像するたびに説明してました。
それに私の持って居るカメラが好きだったのかも。
殆ど持って行くたびに私のカメラでフイルム一つ写真を取ってましたから。
其の間、店で待って居るわけです。
で、店に来た色々なカメラ会社の人と話す事に・・・。
その時はカメラとカメラ界事情の耳年増になりました♪
*決して此処→「アバターのように可愛い女子高生」は否定しない❤
思わずスティーブン・ジョブズに反応してしまいました。
コンピュータについていろいろあったのでね。
詰り私の周りでコンピュータが回りだしたのでね。
其れは其の使いづらいカメラと同じ様に・・・。
そう、全く同じパターンのコンピューター版。
最初は寄せ付けず、そして触れるようになると其の扱いにくさに切れた私は抗議しまくった。
おもちゃのファミコン以下の代物に高額な金額。
私が怒るのは当然だと思うよ。つまり技術者の努力が足りないと思うのは当然でしょ。
こちらのほうが、訪問されるかたが多いので、適切かと思いますね。^^
昔のカメラは機械式なので、ピント合せに露出、シャッタースピードと調整が難しかったですね。
メカ好きの人には、そこがよかったんでしょうけど。
今は携帯電話にもおまけでカメラがついてきて、誰でも撮れるようになりました。
技術進歩には、それなりの時間が必要でしたね。
かなり通ったおかげで色々なその時の事情に詳しくなりました。
開発した所と自社製品のプライドに拘った所にその後別れました。
其のごたごたも知らされました。
名前がニコンだったのかもしれません。
今から修正しないと・・・。www
今は娘の家の古いレコードジャケットと一緒にインテリアになってます。
今更電話で製品名を聞くのもめんどくさいので「?マーク」で修正しておきます。
会社が分裂した様な気がします。兎に角開発途中でもめた様子は聞きました。
更に、何処かの会社と競争開発状態になって、両方の社員が其のお店に居た時は
其の話に触れてはいけないと言われました。
其処まで通う私も私ですが・・・・。
高校生の頃からご自分の主張ははっきりなさる方だったのですねw
そうそう! お客様は神様なのですから、要望をはっきり伝えるべきなのです。
そして、会社はその要望に応えてこそ、消費者のニーズに合った賞品を提供出来るのです。
素晴らしい♪