■抱月番外編|故郷の父
- カテゴリ:その他
- 2011/10/11 00:48:31
■抱月番外編|故郷の父
私の故郷は石州であるが、東京に出てから彼れ是れもう二十餘年になる。其のあひだ、母の死んだ時の外は、一度もしみ/″\歸省したことが無い。從つて故郷の記憶も、大かたは遠い淡い夢のやうになつて了つた。たゞ所々馬鹿に際立つてはつきり想ひ出せる部分がある。
私の十ばかりの頃は、一家が久佐といふ田舎に住んでゐた。家は、四五十坪ばかりの前庭を取つて藝州境への小街道に沿うた瓦葺の一軒家で、後は深い谿谷になり、そこから可なり水嵩のある小川が横手をめぐつて流れてゐる。街道といつても人通りは極めて稀であるが、其の道を挟んで、向うには青田が擴がり、其の向うは又山になつてゐる。
或る夏の夕暮であつた。夕食を濟ませた後、家内中前の縁側に出て涼んでゐると、何處からか蝙蝠が一疋飛んで來て、軒のあたりを高く低く飛び廻る。私や二人の弟やは總立ちになつて騒ぎ出した。すると、今まで晩酌の微醉顏をわざとむづかしさうにして煙草盆を前に控へ、煙を吹かして居た父が、だしぬけに立ち上つて、長押に懸けてあつた樫の丸扱の一間棒を小腋にかゝへ、尻端折で跣足で飛び下りた。びつくりして見てゐると、父は撃劍をやるやうな身構へと、氣合をかけるやうな掛聲とで、頻りに其の棒を扱いたり、水車のやうにくる/\廻したり、閂の恰好に構へたりしながら、蝙蝠を相手に棒使ひを始めた。棒と撃劍とは父がこんなに零落して以後の、唯一の自慢藝であつたのだ。
上になつたり下になつたりして、暫く相手になつてゐた蝙蝠は何時か飛び去つて了つたが、父は尚盛んに空に向つて獨りで棒を使つてゐる。其のうち日は段々暮れ、夕月の光が一杯にそこらを浸して來た。其の月影の下で、磨いた樫の棒が、稲妻のやうにきら/\と光る。母はほゝ笑みながらぢつと見て居た。私は強い豪い父だと思ふと同時に、何だか其の猛烈な勢が、幼心に物凄くて、慈愛の父といふ感じと調和しない、荒んだやうな氣持ちを覺えた。
父はやがて棒の手を収めて、汗を拭きに小川の縁に降りて行く其のあとをぼんやり見送つてゐると、遙かの筋向うに二軒并んで立つた農家の前で、据風呂の火の赤く燃え立つのが見えた。二人の弟は其のときもう母と一緒に蚊帳の中に這入つて居た。
今から考へると、父はあの時、心に佐々木巖柳の燕返しや、寶藏院の水月の槍の傳説なぞを繰り返して居たのだらう。其の父が故郷で不慮の死を遂げてから、今年は七年である。
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■岡島昭浩さんの『うわづら文庫』内に収録されている抱月作品の書籍画像スキャンデータの中から、「故郷の父」という短文をテキスト化してみました。スキャンデータには書誌情報が明記されていないので不明ですが、おそらく昭和初期の文学全集が底本かと思われます。なお底本は総ルビですが、ここではルビは割愛しました。また、一般的なパソコン上では表示しきれない字形等の註記も省略しました。
●うわづら文庫:http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura.html
久し振りに内容のわかる文章でした 如何にあんぽんたんかばれちゃいましたか 凹〇コテッ
ですが文豪でも故郷は懐かしく思い出されるものなのですね^^
それに近いような感じ