『図書館の主』
- カテゴリ:マンガ
- 2011/09/25 23:36:48
表紙は、背表紙にラベルのついた本が並ぶ書架と脚立の上でそれを整理しているらしき男の絵。
でもって題名は『図書館の主』、篠原ウミハル作、芳文社刊、帯を見るだにどうも、児童書がらみの話らしい。
なので、買った。
正直、絵は可もなく不可もなく、嫌いじゃないけど好みでもない。
だが、読むと胸にクルものがあった。
こちとらも、図書館の児童室に巣喰っていた人間だったから。
この話に登場する御子柴は、付き合うには難しいが、しかし信頼できる人間で、理想の司書だ。
このタチアオイ児童図書館に行きたい、巣喰いたいw
ただ、それで児童書がらみだとわかって手にとったけど、帯の文章はちょっといただけない。
『児童書のソムリエ・御子柴が贈る癒しの物語』って……な〜んかズレてる気がする。作中『児童文学読んでるって言うと「素直なんだな」とか「癒されたいの?」とか言われるんだよね』なんて台詞もあるのだから。
『大人が児童書を読むのは気恥ずかしいけど何故か心地よい…』って煽りには、真っ向から反論したい。
大の大人が児童書読んでも、すこ〜しも、かけらも、気恥ずかしくありませんが?
大人を対象とした小説には、時にこどもに解らない、または傷つける、こどもを対象にしづらいものもある。
だが優れた児童文学なら大人が読んでも考えさせられ、楽しむことができる。
逆にいうと、それくらいの本気勝負をしてない話はこどもにだって正直つまらない。
私感だが、児童文学に求められる在り様は、
「退かぬ、媚びぬ、省みろ(そりゃもう懸命に)」
だと思っている。ライトノベルや大人向きのエンターテインメントなら、少々媚びる——というか、読者サービスしてでも読ませること、そうして伝えることはアリだし、時に必要だろう。
でも児童文学は、読者サービス的なくすぐりをとっ払っても読ませる平明さと面白さがないといけない、読者が付いてこない。
その上で、伝えることがあるなら誤魔化しようなく、書き手の思うところ、時には人生観までをさらけ出す羽目になる(口先の綺麗事でつくろうと繕うと、こどもは気づく、「ナメられている」と感じ取る。なにせ、日々おためごかしに囲まれているのだから)。
だから——本気の、作者が真剣勝負をしてる児童書は、長く読者の心に残るものが多い。
だから、児童書を読むことを恥ずかしいとはちっとも思わないし、購入もするし(基本ハードカバーだから、スペース取られるので数は買えないけど)、図書館に行くと絶対児童書室に足が向く(スペース問題で買いづらいので、なおさら)。
大人が児童書読むくらい、別に変わったことじゃないやん。
こちとらがそんな人間なので、そりゃもうこの作品はクル。
同様に実在の本がらみで話が展開する漫画に芳崎せいむの『金魚屋古書店出納帳』や『鞄図書館』があるが、『金魚屋〜』は題材が漫画のみ(舞台が漫画専門古書店なので)だし、『鞄図書館』は本や物語がらみより、鞄(が内包する)図書館と司書がらみの話の方が多いのが残念だった。
この作品は、展開するのは登場人物のドラマだが、そこに寄り添う題材とされている本が実に愛情深く選ばれていて、好きなんだろうな〜、と共感してしまう。
ただ『宝島』はいい本だけど、時代性もあるから今はここまで思い入れてくれる子はあまりないのじゃないだろうか。
(余談だが、出崎統監督のアニメ『宝島』が好きな人が「原作はあんまり……」と言ってるのを聞くと悲しい。あれは原作のあの時代としては型破りな部分を、あの監督らしい方向で現代的に解釈した、実に素晴らしいアニメ化だと思うので)
それと、こども時代の御子柴に『お前さんくらいの年なら冒険物がいいだろう』と本を勧めた司書さん、他はともかく(というか、アーサー・ランサムの名が出て泣きそうになったよ)詳しく知らない相手に『ひげよさらば』はないだろう。
あれ、大きめのハードカバーな上通常の二〜三倍厚さがあるよ? 余程本に慣れた子じゃないと、物量にどん引くのじゃないだろうか(学校の図書室から借りて帰ったとき、他の普通の荷物もあったから、重くて借りたの後悔したし)。
御子柴はぶっきらぼうで口が悪く、しかし誰に対しても、そう大人もこどもも関係ない、ひとりの人間として扱う(なので分け隔てなく切り口上で無愛想w)。ある意味とても誠実だ。
そして、本をそれに「呼ばれた」人、つまり読者に届ける熱意に満ちている。
「本の感想なんて千差万別であってしかるべきだ」「楽しむのに年齢は関係ない」「悪いことを悪いと言わんほうが問題だ!」
可愛げなく、容赦なく、そして正しい。
こんな司書がいる図書館に行ってみたい。
こちらを読者として選んでくれる、心揺さぶるような本と、また新しく出会うために。
ジャンルは関係なく読んでるつもりですが、結局偏ってしまっています。
面白い児童書は、大人にとっても面白いものが多いです。
帯は、出版社のやる気と推したい部分が見えるので、そういう部分で注目しています。
あ、天邪鬼なので、メジャーどころは避けるきらいがありますが・・・。
帯についての本も以前みかけたことがあって、それはそれで面白かった記憶がありますが、
僕は帯はほとんど見てなかったりします(^^;。
気になったので今度探して読みます(^^)。
○談社ミステリーランド、特に気になった数冊だけ読んで、いい企画だな〜と思っていたのですが、そういうのもあるのですか。
中学頃に『オンリーコネクト』(英国児童文学評論選)を読んで、こんなに真面目にこどもの本について考えてくれる人がいる、わかっていてくれる人たちがいる、ってんで感動したのですが、そんな大人はそうそういないとすぐわかってガッカリしたのを思いだしました。
なんか、せつないです。
ながつきさん
凝った作品は、なぜかこども向けではない、と考える人が多いようで。
(本屋のレジにいた時、難しすぎるでしょ」と、こどもが欲しがっていると違う本を買う保護者がいたんです、結構)
大人の本としてでも、児童書を出版したいという熱意だったらいいな〜、と思っていたりします。
でも、その煽りは、海外の児童書の良作が大人向けレーベルから出版されたり、
幼い子供ための優れた海外絵本が大人の癒し本として販売展開されていく風潮を思うと、
なんだか、なるほどねーという感じがします。
講○社のミステリーランドを読んでいるとね
こども向けというので、なんか勘違いしてる作者とかいるよなぁ~と感じる
あまりにもひどい出来で、本を投げつけたくなったものもあった
世間が思っているよりも
ふつーの小説よりも
児童書を子どもの心に響くように書くというのは
難しいんでないのかなと思うんだよねぇ