Nicotto Town


人生カカト落とし


凹んだときの最後の二作 其の二

もう一方、坂口安吾全集の十五巻、というのは、安吾が太宰治の死の報を聞いて書いた文「不良少年とキリスト」が収録されているからだ。

というか、落ち込みがどーしょーもなくなった底打ち状態のとき、おぼれる者が何かを摑むように安吾全集を引っ張り出して、この一文に行き当たるまで、あっちの巻、こっちの巻とエッセイや短編を読んでまわり、大抵この文章を読んで、溜息をついて重い腰をあげている気がする。
これ書くために調べてみるまで、十五巻に収録だと憶えていなかった(しおりは挟んであったけど)ので、本当のところは安吾のエッセイあれこれ、なのかもしれない。

「不良少年とキリスト」で気を取り直すというのは、そこまで落ち込んでないときに見ると自分のことながら、なんだかな~な状態だと思わなくもない(アレコレあるにせよ、日常でそこまで切羽詰まるなよ、自分)。
というか、安吾のこの文章自体、かなりエライことになっている。
歯痛がひどくて鎮痛剤をのんで寝ている、というところから始まるのだが、薬をキメすぎてるのじゃないかという勢い(いや、いろいろある人ですし)。
と言っても、読み辛さはない。というか、これ以上ないほど読み易い。
なんだけど、まぁ尋常ではない文章ではある。
文体をコントロールしようとする意志など放りだして言わんとすることが走っていく(もしくはそれを装った)、読点の乱舞。
太宰の死を惜しみ、亡き作家の才を認めながらも、その死が本当に悔しかったのだとうかがえる物言いでブッ叩きつつ的確(だと思う)に評し、そこから「堕落論」の作者らしく「生きること」に帰着する。
他者にどうこう以前に、筆者ものごっつしんどくないかい? と読むと思うのだが、それでも『人間は生きることが、全部』と言い切るその姿勢は見習うべきだろう。

フツカヨイ的なグダグダをやらかしてる場合ではない、よなぁ〜。
『時間というものを、無限と見ては、いけない』し。
脱するために戦うしかない。勝とうなんてもとより考えてないけど(そーゆータイプじゃないw)『ただ、負けない』ために。


とりあえず、どうにも抜け出しがたいグタグタから脱して、戦うため、道を行くための最初の杖として、久方振りに『It』あたりを引っ張り出して来るべきだろうか?




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