凹んだときの最後の二作
- カテゴリ:小説/詩
- 2011/09/16 23:51:26
しんどい時、引っ張り出す本がある。
スティーヴン・キングの『It』と、坂口安吾全集(ちくま文庫版のヤツね、ふところ豊かじゃないれど、手許に欲しかったで)の十五巻だ。
なんだか脈絡のないとりあわせだけど、なんやかやでベタベタになったとき、気がつくとたどり着いている。
現在そこまで行ってないけど、でも、そういえばヘタったときに読んでるなぁと思いあたった。
『It』に関しては、どうしてだか説明がいるだろう。
とっくにバレてると思うけどわたしは極度の面倒くさがりで、気力・体力が低下すると大概のことが手につかなくなる。気持ちが動かなくなるのだ。
服飾も食事も面倒になって(常識のラインはどうにか守るけど)、生きるのに必要な仕事をなんとかこなす感じになる。
で、それでも惰性か習慣なのか、わりとギリギリまで「読む」ことはする。
モノガタリ、フィクションへの欲は強いらしい。
が、酷くなるとそれもしんどくなってくる。
フィクション、お話、小説……それ、作り事、結局嘘じゃんっ、て。
知っての上で、そこにある「本当」を胸に留める、作為を楽しむ、それがフィクションを愉しむことだが、余裕ないとすべてが虚しく見えるわけでw
なら、ノンフィクション読めばいいのかもしれないが、「基本モノガタリ」な人間なので、ここまで来てると死んだ時間はどうでもいい気分になっている。
ガタガタですな。
そんな時に手にとっても、引きずられるように読んで、幸せな気分で本を閉じながら、フィクションには存在する意味がある、力があると思えるのがわたしにとって『It』だったりする。
それぞれの理由(人種や虚弱や吃音、貧困など)で疎外されている子どもたちが出会い、友情をあたため、攻撃する連中をはね返し、そして近付く超常の危機に抗して戦う様子が、大人になって同じ危機に対さねばならなくなった主人公たちと交互に、カットバックで描かれる。
主人公たちは、子ども時代何が起こり自分たちがどうやってそれを封じたかを憶えておらず、事態の進行によって徐々に昔を思い出してゆくが、子ども時代の純粋さを失っている彼らに「それ」と戦い、今度こそ倒すことはできるのか……というストーリー。
二段組の分厚いハードカバー二冊(今は四分冊で文庫になっている)の長い物語を、過去(子ども時代)と現代を同時進行しながら、多くの登場人物を書きわけて読ませるのは、作者の超絶技巧あってこそだろう。
浦沢直樹の漫画『二十世紀少年』(どうでもいいが、全部読んだ筈なのにオチを思い出せないorz)の前半は、この『It』の本歌取りだろう。その表明なのだろう、キーになる品である「図書館に下巻しかないない本」として『It』が登場していた。
春期のアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』も、過去と現在が交錯する構成や、なにをするべきなのかが記憶にないこと、「見えない子」(きょうだいが亡くなって親に注意を払われない立場になっている子)が存在したりと、『It』っぽかった(けどノスタルジー煽ろう、泣かそうとしすぎなのがちょっと……)。
『シャイニング』「スタンド・バイ・ミー」あたりとともに、作者キングの根っこというか「本当」のダダ漏れ率が高いw話であるとともに、特徴である饒舌さも全開で、どっぷり作品世界に浸ることができる(その分苦手な人もあるかも)。
フィクションでも、嘘でも、モノガタリには意味がある、伝えようとする意志と手渡そうとする何ものかがあるのだと、グダグダになっているときにも思い直せる一作だったりする。
(もう1冊については、次回に。長くなりすぎました)
いかにボヤッと行動してるかよくわかります。
ながつきさん
なにせ作品数が多いので同じく未読も多いですが、ノっている時のキングはエンターテインメントとしてだけでなく、胸に来るものがあります。
(逆に空回っていると技巧で読める作品にはなってるけど……みたいなしんどさがあることも)
『It』は、映画だけを見た人は、Itをピエロ+αだと思ってるようで。
ラスト近く、映像にできないシーンなんかもあるし、やはり読んでこその話のような気がします。
corraさん
『あの花』EDがちょっと懐かしかったです。
登場人物たちとは世代がずれているので、ノスタルジーは感じませんでしたが。
ネタキャラ化してゆくゆきあつがなんか可哀想で仕方なかったです。
「IT」はなるほどと思います。物語る力に押し流されるような気がします。
ところで、北米では、今年、IT25周年(うわっ)記念スペシャル・エディションが刊行、だそう。