ドラマ【新・警視庁捜査一課9係】【ブルドクター】
- カテゴリ:テレビ
- 2011/09/01 13:21:31
【あらすじ】人気アイドル・神崎翔のマネージャー・里美が絞殺された。体にはところどころ打撲痕があり、索条痕には黒い粉末が、右手の側面には赤い塗料がついていた。里美は死ぬ直前、事務所で翔と言い争っていたと言う。一方、里美の娘・結衣が通う高校では、里美はモンスターペアレントとして有名で、結衣の担任・工藤がその標的になっていたらしい。鑑定の結果、黒い粉末は2Bの鉛筆、赤い塗料は赤ペンのものとわかる。加納は赤ペンの色が何故付着したかを気にする。
【感想】何故か本筋とか関係なさそうな女性の脚本家が出てきて誉められているシーンがあり、こいつ怪しいwと直感したら、やっぱりそいつが犯人でした。このところ9係が扱う事件は、関係者が多く複雑な事件ばかりで隙がないため、不必要と思われるシーンが入っていると、つい疑ってしまいますね。ミステリードラママニアの悲しい性かもしれません。当初、里美がモンペってことで、かなり印象悪かったですが、娘がいじめられていることを認めさせようと奮闘していたってことは、モンペとは言いかねますね。学校側が都合の悪いことを言い出す保護者を、モンペ扱いしてただけじゃん。彼女が悪いわけじゃあありませんが、正論をふりかざし他者を追い詰めたり追い落としたりする人間は、嫌われますわな。人間奇麗事だけでは生きられないし、いくら正当な理由があるからといって、不必要に重い処分を下したりすれば、逆恨みされて当然です。結局彼女に欠けていたのは、空気を読むことなんでしょうな。何でもかんでも空気を読めばいいってもんではないけれど、やはりここは読んだ方がいいってとこはあるはずです。ましてや、人の落ち度や能力の足りなさを、攻撃材料にばかりして、フォローしたり助けたりしない人って、孤立しやすいですよね。ちょっと余裕が足らなかったのかなぁと思います。自分が守りたいものは、自分だけで守るのではなく、人にも守らせるくらいの器量がないとね。といってもなかなか現実は難しいとは思いますが。てか、あれっ? なんで索条痕に2Bの芯の粉がついてたんだ? 真犯人はパソコンを使って脚本書いてましたよね。粉どこから出てきたんだー!
【あらすじ】武田教授が高広の勤務する病院に搬送されてきた。報せを受け駆けつけた美亜に、119番通報したという政治家秘書の奥山が声をかけた。奥山は、武田が話があると言うので会う約束をしたが、結局何も言わず武田が立ち去ろうとした、酔っているようだったので心配して後を尾けたら、階段から転落していたと言う。高広の手術で武田は一命を取り留めるも、予断を許さない状態が続いた。
【感想】だーかーらー、こんな危機的状況を望んでるんじゃないのになぁ…。もっと落ち着いて法医学教室では実際何をやっているのかとか、問題点とか、そういうのを見たいんだよね。まぁ武田はいつか何かやらかすんじゃないかとは思ってましたけど。きっと武田が脅されているネタは、美亜の移植の話でしょうね。どこの臓器だか知りませんが、きっと臓器売買でもしたのでしょう。奥寺にそのネタをつかまれたのか、それとも奥寺の斡旋で買ったのかわかりませんが、奥寺の口ぶりからして後者っぽいですね。そうやって縄文寺は医師の弱みを握り、自分に都合の悪い事件を握りつぶすため利用しているのでしょう。八代もきっとその手法で弱みを握られ、武田に脅迫メールを送ってたんでしょうね。やはり前回変なそぶりを見せていたのは、そういうことだったか。これから最終回にかけて、この事件を解決してくんでしょうね。もう地道な法医学のネタは見れないかもしれないな。私生活の方でも、釜津田は名倉と別れてしまうし、珠実は高広とケンカしてしまうし、何やってんだかなー。名倉は要するに草食系男子なんで、扱いづらいでしょうね。草食系って言ってもいろいろいまして、その気になればちゃんと発情するのもいれば、そうでないのもいますな。名倉は後者のタイプで、一人身が長かったせいで、特に結婚する必要も感じてないし、自分1人の時間を大切にしたいと強く思っているので、他人を守ってあげたいとか、家族を作りたいとか考えられないタイプですね。高広もちょっとその傾向あるな~。彼の場合、仕事がさほど忙しくなければ、ここまで思いつめなかったと思うんですが、仕事が忙しい、自由な時間が取れない、奥さんはまったく自分のことを考えてる様子がないで、ムキー!!てなっちゃったんでしょうね。昔っから日本では、家庭を大事にしないことが、男性にとってチョイ悪のステータスみたいなところがありますからね。逆に家庭を大切にする男性を蔑む傾向も。尻に敷かれてるとか言ってね。こういう環境で育ってしまったのだから、仕方ないっちゃー仕方ないですね。若い世代ではイケダンとかいうのがもてはやされ始めてますが、いい傾向だとは思いますが、果たしてそう簡単に民族性というものから脱却できるのかなとも思ってしまいますね。