もうひとつの夏へ 【8】
- カテゴリ:アルバイト
- 2011/08/31 20:09:21
雪美は無言だった。
僕も無言。
何かを話しかけられそうな雰囲気ではなかった。
半分ほどまで来ただろうか、その時頭上より冷たいものが降りてきた。
どうやら本格的に一降り来そうな感じがした。
どうする? そんな顔で雪美の顔を横から見つめた。
しかし雪美はそれに気づく素振りもなく走り出していた。
僕もつられて駆け出した。
走り出すと、雨足はどんどん強くなり公園に着く頃には土砂降りになっていた。
「やっぱり雪美は雨女だな」
「それは恭ちゃんの方だって」
雨宿りしながら2人して笑い出した。
「ほら、あのベンチ」
不意に雪美がベンチを指差した。
するとぼんやりと想い出が蘇り始めた。
そうあれは確か雪美が初めて、僕にお弁当を作ってくれた時に座ったベンチだ。
その時は「普通に食べれる」 なんて言って激怒させたっけ…。
そのベンチには今では屋根がついて、雨宿りも出来るようになっていた。
雪美は僕をベンチまで引っ張っていって座らせた。
「ちょっと目を瞑っててくれる?」
まさか今さら弁当の恨みを晴らそうというのだろうか?
そんな事は無いとは思うけど、食い物の恨みは恐ろしいっていうしな…。
何とか言い訳を考えるが、まったく思いつかなかった。
何より雪美の目は、反抗を許してくれそうに無かった。
諦めて、目を瞑った。
一息ついて「これで、いいだろう?」と言う筈だった。
だが声は出すことが出来なかった。
なぜなら口が塞がれていたから…。
慌てて目を開けると、至近距離に雪美の顔があった。
……どれ位そうしていただろうか?
呆れるほど長いキスから離れると、不意に雪美が口を開いた。
「ところで、結婚記念日は9月1日でいいの?」
時計を見ると、丁度24時を回っていた。
やっと終わった。 8年かかって8月31日は終わったのだ。
気が付くと雨は上がっていた…。
「ところで雪美」
「ん?」
「君は僕と優にメシを奢らなければならない、それもとびっきり高いのを」
「え? なんでよ?」
何だか判らないといった顔でこちらを見上げる。
「文字通り、命の恩人だからな」
「ふぇ?」
ますます判らないといった顔になる
それがとてもおかしかったので思わず声を出して笑ってしまった。
つられて雪美も笑い出す。
やがて笑い声は透き通った秋の空を突き抜けて、虫の声にかき消された。