Nicotto Town



もうひとつの夏へ 【8】

雪美は無言だった。

僕も無言。

何かを話しかけられそうな雰囲気ではなかった。

半分ほどまで来ただろうか、その時頭上より冷たいものが降りてきた。

どうやら本格的に一降り来そうな感じがした。

どうする? そんな顔で雪美の顔を横から見つめた。

しかし雪美はそれに気づく素振りもなく走り出していた。

僕もつられて駆け出した。

走り出すと、雨足はどんどん強くなり公園に着く頃には土砂降りになっていた。

「やっぱり雪美は雨女だな」

「それは恭ちゃんの方だって」

雨宿りしながら2人して笑い出した。




「ほら、あのベンチ」

不意に雪美がベンチを指差した。

するとぼんやりと想い出が蘇り始めた。

そうあれは確か雪美が初めて、僕にお弁当を作ってくれた時に座ったベンチだ。

その時は「普通に食べれる」 なんて言って激怒させたっけ…。

そのベンチには今では屋根がついて、雨宿りも出来るようになっていた。

雪美は僕をベンチまで引っ張っていって座らせた。

「ちょっと目を瞑っててくれる?」

まさか今さら弁当の恨みを晴らそうというのだろうか?

そんな事は無いとは思うけど、食い物の恨みは恐ろしいっていうしな…。

何とか言い訳を考えるが、まったく思いつかなかった。

何より雪美の目は、反抗を許してくれそうに無かった。

諦めて、目を瞑った。

一息ついて「これで、いいだろう?」と言う筈だった。

だが声は出すことが出来なかった。

なぜなら口が塞がれていたから…。

慌てて目を開けると、至近距離に雪美の顔があった。



……どれ位そうしていただろうか?

呆れるほど長いキスから離れると、不意に雪美が口を開いた。

「ところで、結婚記念日は9月1日でいいの?」

時計を見ると、丁度24時を回っていた。

やっと終わった。 8年かかって8月31日は終わったのだ。

気が付くと雨は上がっていた…。

「ところで雪美」

「ん?」

「君は僕と優にメシを奢らなければならない、それもとびっきり高いのを」

「え? なんでよ?」

何だか判らないといった顔でこちらを見上げる。

「文字通り、命の恩人だからな」

「ふぇ?」

ますます判らないといった顔になる

それがとてもおかしかったので思わず声を出して笑ってしまった。

つられて雪美も笑い出す。

やがて笑い声は透き通った秋の空を突き抜けて、虫の声にかき消された。




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