もうひとつの夏へ 【7】
- カテゴリ:アルバイト
- 2011/08/31 00:21:12
「痛っ!」
リビングから女性の声が聞こえた。
そして、また僕の元へ飛んで帰ってきたキーホルダー…。
え?
エーーーーーーーーーーーー???
慌てて上がろうとして、もつれて転んだ。
靴を脱ぐのももどかしく、そのまま土足で上がってしまった。
こちらに背を向けている女性に見覚えはなかった。
でも、もしかして……。 恐る恐る声を掛けてみた。
「雪美…… なのか?」
「ふぇ?」
間抜けな声をあげる女性。
ひょっとして過去を変えたことで奇跡が起こったのか?
でもそんなことはどうでもいい、雪美が帰って来たなら!
そのまま彼女の背中に抱きついて泣いた。
「雪美…。 良かった、良かったな」
「ふぇ? ふぇぇええええ???」
何が何だかわからないのだろう。 僕にだってわからない。
それでも雪美が生きている。 それ以外のことはもうどうでも良かった。
ひとしきり泣いたあと、はっと我に返った。
「本当に、雪美だよな…?」
ここに来て冷静になる。 もし違ったら、とんでもなく恥ずかしい。
「あの~恭ちゃん!」
女性はゆっくり振り返ると、僕のほっぺをつねった。
「痛タタタタ」
「ちょっと悪ふざけがすぎるんじゃない?」
「いや、割と本気なんだが…」
「はぁ? どっかで頭でも打ったの?」
8年前と変わらないノリが少し懐かしかった。
色々話したいことはあった。
でも何を話せばいいのか考えがまとまらない。
考えて抜いて出た言葉は、ひどく間抜けなものだった。
「雪美、僕と付き合ってくれないか?」
雪美はすこし考える素振りを見せた後、声を張り上げた。
「アホかっっ!!!・・・とっくの昔から付き合ってるでしょ~」
付き合ってる記憶はまったくないのだが、どうやらそういう世界らしい。
いや正確には、そういう世界に変わってしまったのだろう。
そんな事を、思っていたためか
雪美の視線が僕の胸ポケットで止まっていることに、まったく気が付かなかった。
「何これ? いっただきっ!」 「…あ」
あっという間に、手紙は彼女の手に渡ってしまった。
「何コレ? ラブレター? 貰ったの?」
8年前の僕の手紙を奪うと、ニヤニヤし始めた。
「恭介君も隅に置けませんね~」
ちょっと棘のある言い方だ。
「いや、それは雪美宛だよ。読んでみて」
「ん?」
少し訝しげに手紙を眺めたあと雪美は読み始めた。
「え、これって…?」
雪美はすぐに気づいたようだった。
「ああ、あの時渡すはずだった手紙だよ」
読みながら、雪美は色々話してくれた。
8年前の駆け落ちは、結局補導されて失敗。
けれども、そのことで僕の転校は無くなった。(父親の単身赴任になったらしい)
その頃からずっと付き合っている。
などなど、消え去った時間を埋めるべく様々な話に耳を傾けた。
一通り読み終えると、雪美は真顔で僕に向き合った。
「それでさ…じゃがいもは食べられるようになったの?」
その問いかけの意味は十分に理解していた。
(さて、何か気の利いたものはないか?)
辺りを見回すが使えそうなものは恐竜のキーホルダーくらいしかなかった。
(これでいくか…)
キーホルダーを握り締め、雪美の左手を取った。
「ああ、食べられるようになったよ」
そう言いながら、キーホルダーのリングを彼女の左手の薬指に引っ掛けて見せた。
上手く伝わったのだろうか?
雪美はキーホルダーを見つめながら、少し考え事をしているようだった。
指に引っ掛けたキーホルダーを見つめたり、時折ぐるりと回してみたり……。
どれくらいの時間がたったのだろうか?
それほど長い時間ではなかったはずだが
空気が乾いているのか、やけに長く感じた。
そしてその乾いた静寂を切り裂いたのは、雪美の意外な一言だった。
「ねえ、恭ちゃん…。公園いこうか?」
「ふぇ?」
今度は僕の方が間抜けな声を出してしまった。
既に時計は22時を回っている。
こんな時間に公園にいく馬鹿はいないだろう。
そう言おうと思っていた頃には雪美は玄関に居た。
「ほら、行くよ」
しびれを切らした彼女は僕の手を取って引っ張っていく。
どこかで見た光景だな。
・・・すぐに思い出すことができた。
(さっき駅でこんな感じだったな、立場は逆だけどさ)
そんな事を思いながら、ずるずると玄関まで雪美に引っ張られていった。
「キャンキャン」
愛犬のプリンがご主人様のピンチに部屋の奥から飛び出してくる。
けれども、雪美に制されると吼えるを止めた。
「プリンは、お留守番ね」
と言い残すと玄関を閉めた。
閑静な住宅街の一角であるこの辺りは、この時間は不気味なほど静まりかえる。
街頭の灯りを頼りに、二人は手を繋いで公園を目指し歩き始めた。