『平家物語』に見る陰陽道 15
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- 2009/05/09 23:29:12
○暦の博士
(巻第九 七 三草勢揃への事)下p77
昔將門東八箇國を討ち隨へて、下總(しもふさ)國相馬(さうまのこほり)郡に都を立て、我が身を平親王(へいしんわう)と稱して、百官をなしたりしには、暦(こよみ)の博士(はかせ)ぞなかりける。
《訳》
昔平将門が関東八か国を討ち従えて、下総国相馬郡に都を作って、自身を平親王と称して、百官を任命した時には、暦博士だけは居なかった。
《解説》
暦博士とは、陰陽寮に属し、暦の作成して、日柄の吉凶を定め、暦道を学生に教える、造暦に携わる役職。この職掌を暦道とよぶ。
安倍晴明の師で兄弟子にあたる賀茂保憲は天文・暦両職を分かち、天文道を晴明に、暦道を子の光栄に伝え(陰陽道宗家、安倍氏・賀茂氏の誕生)、以後暦道は代々賀茂家に伝わることとなった。(十六世紀賀茂家段絶後は安倍家が引き継ぐ)
京の朝廷でなく福原で行われた平家の除目(大臣以外の諸官職を任命する儀式)について、将門が行なった除目が引き合いに出されている。ここで、暦博士の有無が取り沙汰される理由は不明。古代、農作業の指針となる暦の作成・管理は、国家の重要な仕事の一つと見なされていた。暦博士がおらず、造暦が出来なかったので、将門の新興国は滅びたということか。『将門記』では、暦博士の人員が無くて困ったと記されている。
滅びた原因の一つとは少しオーバーかな、と思いつつも書いたのですが。どうでしょうね。
平氏のみにかぎらず、関東に下向した都人は、現地で大変な思いをして、生き抜くために力をつけ、武士へとなっていったようです。姓を賜って、皇族から臣となっても何も手にするものが無く、地方へ下る。
生活の糧を得るため、自分たちで土地を開拓し、それを守るため、どんどん武装していく。襲ってくる夜盗達を倒していく。
都でのほほんとしていた貴族とは比べ物にならないですよね。
某文庫本?心当たりありませんので、今度こっそり教えてくださいね。
お褒め頂き光栄です。
文献を漁ってまとめているだけに過ぎないので、ほんとは大した事無いんですけど。
(すいません、某文庫本のせいで「貴族的イメージの平家にあって武士系の人」という刷り込みがあるんです)
将門の新興国が滅びた原因の一つに「暦博士の不在」があったのかも知れない、と思うと、それがどれ程重要な役割か判りますね。