「ベルリンの壁」建設50周年式典が開催された
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- 2011/08/25 01:46:40
(ベルリン8月13日 時事)
東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」が建設されてから50年となる13日、
ベルリンで式典が開かれ、全長155キロに及んだ壁を超え、
東独から西独に脱出しようとして、命を落とした市民を追悼した。
式典には、メルケル首相やウルフ大統領、ウォーウェライト・ベルリン市長が
主席した。ウルフ大統領は「自由は決して打ち破られることはない」と強調し、
分断の歴史を繰り返さないよう訴えた。
ベルリン市内では、市民が正午から犠牲者に黙とうを捧げた。
2009年の調査結果によると、壁の建設から崩壊までの28年間で、
東から西へ逃亡を図り、撃たれるなどして死亡した人は136人に上る。
家にはベルリンの壁の小さな塊を、お土産用に加工した、飾りがあります。
でも、それを見ると、とても複雑な気持ちになります。
ひょっとして、この塊の壁があったところで、逃亡して撃たれたりしていないよね。
同じ国なのに、コンクリートの上に、鉄条網を張った厳めしい壁に隔てられ、
見張り台には、ライフル銃を持った兵士達・・・人々は見張られて、
東ドイツの敵とみなされるや、酷い目にあい・・・・。
冷たい惨い歴史の破片・・・繰り返されないように、心から願いたいです。
国同士争いにならないように、片方がごねて、爆撃仕掛けるのに対し
なんとか平和を保とうとする片方・・・・隣接しているだけに、やっかいですよね。
フランスでもつい最近、ドイツ占領下に会った時に、建設されたユダヤ人収容所が
公開されました。 いったんそこに、収容してからアウシュビッツに送られたとか・・
負の遺産を残し、戦争の傷を忘れないようにするのは、大切ですに。
ただ、公開するのにこんなに時間が経ってからというのは、相手国の感情を考えて
国交に支障をきたさないようにするためでしょうね。
長崎に行ったときに、原爆で亡くなったかたの慰霊碑の前で、大騒ぎで並び、にこやかなポーズで
写真を撮るアメリカ人を見ると、無性に腹がたったことを思い出しました。
私の親類は、誰も被害にあったわけではないのに、その時は日本人として
ものすごく侮辱されたように感じました。
でも、その外人たちも、漢字が読めないので、何か分からず写真を撮っていたのでしょうけれど
やはり、負の遺産は、扱い方に注意しないといけないなと思います。
沖縄に行くのにパスポートがいったということを
聞いたことがあります。
だから、カウンターでお客さんに、両行のチケット一式を渡す時に
パスポートをお忘れなくと、冗談で言ったりしたもんですww
どこかが平和?になると、またどこかが、戦争を繰り返す。
あんなに悲惨な体験をしているのに、次の世代には伝わらず・・・
他の国は、いつまでも侵略された?ことを、根に持ったりして
いつまでも、参拝がどうのと騒ぎますが、第三者から見れば、
国民洗脳で相手国を憎むように仕向けるのは
程度の低い教育とその国の知性を疑ってしまいます。
それとも、原爆を落としたアメリカと、仲良く歩む日本が特別なのかしら?
ヨーロッパも占領と侵略を繰り返した国々ですが、EUとしてまとまろうと努力はしましたものね。
国や国民の成熟度は、外交にすべて現れるものだなと思います。
重くなってごめんなさい。少し前に、桜井よしこと中国人、韓国人、ベトナムなど近隣諸国の人種との
討論会をネットで見て、捻じ曲げられてしまった、思想、考え方、刷り込み現象にうんざりしてしまった
ものですから・・・・。あ~仲良くなれるのは、いつの日か~ww
実際に見たことがないし、そんなに話題に上らないので
犠牲者がそんなにいたとは・・・・「韓国」と「北朝鮮」はまだですね
お隣の大国も未だ共産主義であり、日本を虎視眈々と狙っています。
平和を装っている日本ですが、日本でこのような惨劇が繰り返されないことを
祈るばかりです。
ドイツは今は統合されてるけど、韓国と北朝鮮みたいな所もまだありますし・・・
日本だって大昔は沖縄とか北海道って違う国だったんですよね~。
人間の歴史に争いごとは必須なのかしら。
世界が平和であって欲しいと切に願います(・_・。)
中東戦争の内容を、読んだりするのですが、
動きが激しすぎて、いまいち把握できません。(@_@;)
石油産出国をめぐって、旧ソビエトやアメリカが背後につき
先進の武器で陣地を奪ったり、奪回したり・・・・。
サダートがようやくイスラエルとの和平にこぎつけたものの・・・・。
そして今は・・・う~ん、おっしゃる通り、今政変が起きている国の
今後の情勢は、混乱を極め険しいでしょうね。
今は無いその地球儀宝物ですね。蒼生さんが結婚をされて、
お子さんができたら、ママの小さい頃の世界はねって、
お話を聞かせてあげられますね。
以前「プラハの春」を読んだ時、ドイツなどの戦時下の動きを知ったので、
余計に、このベルリンの壁建設50年の記事には、考えさせられました。
本はこんな内容です↓
プラハの春: 春江 一也: 本. ... 内容(「MARC」データベースより). 現役外務官僚が自らの体験をもとに書いたドキュメンタリー・ノベル。1968年のチェコの民主化運動「プラハの春」を舞台に、冷戦の非情に翻弄された若き外交官の恋とサスペンス。
ベルリンの壁撤去のように、絶対不可能だと思われていたことも、
いつか終りのときがくるものだなという、感慨もあります。
旧ソ連の崩壊、ルーマニアのチャウシェスク政権の崩壊、最近の
イラク、エジプト、シリアの政変など・・・。
ドイツなどはこれによって、良い方向に進んだわけですが、最近の
政変国の今後は険しいかもしれませんね。
私は生まれて数十年、特に大きな変化もなくのんびりと生きてきましたが、その間にも世界は動いているんですよね。歴史の教科書は常に更新されている。色々考えさせられますね。
因みに、私は小学校入学のときに祖父がプレゼントしてくれた地球儀を持っていますが、それはまだ「西ドイツ」と「東ドイツ」ですね。ロシアも「ソビエト連邦」ですし。
うん、うん、家族や愛する人と会えなくなるのは辛いですよね。
緊迫した社会情勢の中、許可を求めても、東側から西へ出国できることは、
まず無かったようです。
射殺されたり、捕まって拷問を受けると分りながら、136人もの人が
命をかけて、壁を越えようとしたんですね。
ご冥福をお祈りします。
そして、お互いに平和な時期の日本に生まれて、良かったですね。
ある日どこかの国が国の中でケンカをして、同じ国だったのに、
真っ二つにわけられたんでしたよね。
壁の向こう側に愛する人がいるのに会えない、
大事な家族がいるのに会えない、という状況や、
銃を持った見張りがいることなど、本当に本当にひどかったんだなと思います。
だめだな私、もっと歴史を勉強しないと。
全長155キロもあったんですか?!(*o*)/~~~☆