☆寺田屋登勢(登世)
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- 2011/08/24 00:57:50
この名前ご存知ですか?
別名は大本登勢といい、元は大津で旅館を営む大本重兵衛の次女として生まれ、弘化四年に京都伏見の船宿寺田屋伊助のもとに嫁ぎました。しかし、夫は放蕩者だったため早死にしたそうで、一人で旅館を切り盛りしました。つまり、幕末のあの寺田屋の女将です。
人の面倒を見るのが好きで、頼りになる存在であり、特に勤王の志士たちには献身的に援助したそうです。しかし、そのために奉行所から睨まれることが多く、入牢させられそうになったこともあったといいます。
文久二年(1862年)の寺田屋事件の際も、慌てることなく血だらけの旅館を綺麗に掃除し、すぐに旅館を営業したという逸話があります。また、この時薩摩藩士を丁重に弔ったことから薩摩藩とは親しかったそうで、さらには薩摩藩の依頼で寺田屋は龍馬の常宿になりました。また、龍馬は女将のことを「おかあ」と親しげに呼んでいたといいます。
そして、明治30年に48歳の若さで亡くなりましたが、今でもその人気は高く、寺田屋の庭にはお登勢明神が建立され、命日には記念祭が行われています。
修学旅行で京都に行った時、自由行動日にどうしても寺田屋に行きたくて
グループの友人を説き伏せて伏見を無理矢理ルートに入れた思い出があります(笑)
ずと言って良いほど登場する名わき役ですね^^
でも感じでフルネームで書かれると(え?誰だっけ)となっちゃう。。