■近代文藝之研究｜研究｜沙翁の墓に詣づるの記　四(１)


　　　　　　四

げに世界の如何なる處にも見がたい偉觀は、此の矮屋《わいをく》の一隅《いちぐう》、シヱークスピーア［＃「ヱ」は小文字］の誕生室であらう。金字《きんじ》に雕《ゑ》られては、帝王の書架をも飾る文學史上の大名《たいめい》が、見よ、此の一室に來ては、如何に賤小《せんせう》に、如何に謙抑に、窓、壁、天井に其の跡を留めて居るかを。説明係の男が、一葉の薄紙を窓の硝子に當てゝ指し示す所を見れば、縱横に切り込みたる名字《めいじ》の中に、鮮《あざや》かにスコットの名も見られる、カーライルの名も見られる。天井にはブラウニングの名が切つてある。そして此等の人々は、此の室の主人の前には、一切の地位階級を棄脱《きだつ》して、無名微賤の巡禮者として讃仰の意を主人に捧げてゐるらしい。
其の外に、いはゆる何人も一度は腰かけて見る紀念の椅子。我が其の側に立つて長々しい説明に耳を傾けてゐる間、傍《かたはら》にありし一老紳士と、そが娘とも見える妙齡の一婦人とは、先づ紳士から始めて試みに其の椅子に腰を托した。


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＊註１：飾る
「飾」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/syoku.jpg

＊註２：文學史
「文」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/bun_aya.jpg
「史」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/shi_humi.jpg

＊註３：謙抑
「謙」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/ken_herikudaru.jpg

＊註４：説明係・長々しい説明
「説」の旧字体。旁は「兌」。

＊註５：硝子
「硝」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/shyou.jpg

＊註６：指し示す所
「所」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/tokoro.jpg

＊註７：縱横
「横」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/ou_yoko.jpg

＊註８：名字《めいじ》
ルビは「みやうじ」としたほうが適当かとも思ったが、「苗字」の意にこだわらず「名前の文字」の意でも文意が通るので原本のままとした。

＊註９：前には
「前」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/zen_mae.jpg

＊註10：棄脱《きだつ》
「脱」の旧字体。旁が「兌」。

＊註11：微賤
「微」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/bi_kasuka.jpg

＊註12：巡禮者
「巡」の旧字体。「シンニョウ」は「二点シンニョウ」。
「者」の正字体。
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＊註13：腰かけて
「腰」の俗字。「月」＋「襾」＋「女」。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/you_koshi.jpg
　(補足)このページ文末の「椅子に腰を托した。」の「腰」はフォント表示のままの当用漢字が用いられている。

＊註14：紀念
「紀」の俗字(か？)。「糸」＋「已」。

＊註15：婦人
「婦」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/hu_tsuma.jpg

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■抱月『近代文藝之研究』を註記なしに通しで読みたいかたは、こちらをどうぞ。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/kbk_tobira.html
■このテキストの原本は国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」収録の「近代文芸之研究 / 島村抱月（滝太郎）著 早稲田大学出版部, 明42.6」の画像データに依っています。
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/871630/1