我が家では
- カテゴリ:30代以上
- 2011/08/16 23:02:52
実家には大きな仏壇があった。
私(60歳)の祖母がお嫁に来た時からあったので何時からあるのか解らない。
幅はふすま2つ分。つまり8畳の部屋の半分が仏壇で残りが二つに分かれた床の間で
一つは書院造になっていて、
残りは上まで何もなく台の上に花瓶に花がいつもかざってあった。
電気ジャーが出てから、夕食にご飯を炊くようになってから、
炊きたてのご飯の一番最初は金色の仏様のご飯を入れる入れ物に
ご飯を山のような形に入れてそれとお水をお盆に乗せて仏壇に供えて
お坊さんの座布団と呼んでいた立派なサブトンが仏壇の前に在って
其処に座って祖母が居た時は祖母がお経を詠んで私たち子供も傍に
座って手を合わせていた。
お経の前にお線香もそうろくもつける。
口で吹き消されないので、手で風を送って消すのだが、中々消せないが、
そのうちにうちわで消すようになって便利になった。
これは毎日行われたので、子供の時はお経を覚えたが、
小学校を過ぎると学校から帰ってきたときにはそれが終わっているので、
祖母だけがそれをしていたようだ。
祖母の時で、祖母の舅 姑 そして祖母の義叔父、義叔母、祖父、
戦争で死んだ祖母の息子、私には叔父にあたる人もあり、
押入れにはそれぞれの葬式に使った写真がたくさんあった。
檀家のお寺からは月参りのお坊さんが月に一度来ていた。
私はこれが普通だと思っていた。
更に家には大きな神棚が居間に在った。
暮れの大掃除には榊を変えたり、
神棚のねじった大きな縄を変えたり、
半紙を切った紙を変えたりした。
節分の撒く豆も撒く前に神棚にますに入れて置いておいた。
3月の節句には、雛壇を飾った。
あられがいつも乗っていたのでつまみ食い。
菱餅は木でできていたが、歯型ついていた。
私もかじった経験あり、妹もかじった経験あり。
男の子が生まれなかったので5月人形もこいのぼりも無し。
柏餅を食べた位。
祖母は仏壇だけでなく、神棚のお水も毎日変えてました。
私は神棚も引き受けたと言うか、大きなのは神社に持って行きました。
「どんとやき」で焼かれたと思います。
そして本当に小さなのに買い換えました。
お水は祖母は小さなガラスコップでしたが、
私は湯呑茶碗にして水がなくなっているのに気が付くと湯呑をゆすいで新しい水にしてます。
だんだん簡素化されて行っているように思います。
でも、仏壇も小さいのが売られているようですから、
案外お水とお菓子があった時はお供えされて居る様にも思います。
ところで、実家では、ご飯を炊いたときには、必ず食事まえに仏壇に収めます。 勿論、お水は毎日取り替えます。 最近の若い家庭では、どうしてるんでしょうね?