☆三国志
- カテゴリ:その他
- 2011/08/14 00:42:12
毎度おなじみの三国志です。今回は呉の孫権を取り上げます。
字を仲謀といいます。呉群富春の出身で、角張った顔で口が大きく、碧眼、紫髯といった異相だったそうです。10歳のときに父孫堅を亡くし、以後、兄の孫策に従って江東各地を転戦します。そして、18歳のときに孫策が亡くなったので父と兄の後継者となりました。
208年、水陸80万と言われる曹操の大軍の侵攻を受けます。一方、その時の孫権の軍勢はわずか数万です。この時、江東の文官、武官が孫権を説得して講和しようとしますが、周瑜・魯粛は主戦論を主張、さらに劉備の幕僚である諸葛亮も加わり、南北両軍の実勢を詳細に検討した上で、呉軍の有利を強調しました。そして、孫権は彼らの意見を容れて、赤壁の戦いで大勝を収めて、三国鼎立の趨勢を決定付けました(ここは有名な話ですね)。
しかし、この赤壁の戦の後のドサクサで荊州を劉備に奪われましたが、その後その半分ほどを奪還します。また、劉備の義兄弟関羽を倒し、最終的には荊州全域を奪還します。
その後、劉備の遠征軍を陸遜に命じて夷陵で撃破し、魏と蜀がもめている間に、江東に呉を建国し、自ら初代皇帝大帝に就任します。
しかし、曹操や劉備と比べて長寿だった孫権ですが、後継者問題で寂しい晩年だったと言います。251年71歳で病没。
その他に
・曹操や劉備に比べると守成型なので目立たない。
・外交が得意である(結構たぬき!)。
・「三国志」の中では最も地味なリーダー?
ありがとうございますm(__)m今日一番幸せかも…
後継者問題とかもあったし、晩年の孫権がなんだか気になります><
とっても勉強になりました!
孫権ドラマのはじまりですかねぇ・・・。
孫権と周瑜のような、兄弟の義兄弟って不思議な関係だと思います。
歴代4人の大都督を上手に運用し、実績をあげた君主として名高い人物だと思います。