<訃報>忌野清志郎さん58歳
- カテゴリ:音楽
- 2009/05/06 03:19:53
『僕の好きな先生』がとってもすきだったです。
ご冥福をおいのりいたします。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090502-00000100-mai-soci
<訃報>忌野清志郎さん58歳=ロック歌手 がん治療続け
5月2日22時54分配信 毎日新聞
忌野清志郎さん
「ベイベー!」や「愛し合ってるかーい!」などの決めぜりふ、奇抜な衣装と演出で知られるロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。葬儀は9日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は妻の栗原景子(くりはら・けいこ)さん。
【1年前、元気な姿で復帰】忌野清志郎:帰ってきたぜ武道館 がん克服し3時間「愛しあってるかーい!」(08年2月)
東京生まれ。68年に中学校の同級生らと、忌野さんをリーダーとするバンド「RCサクセション」を結成、70年に「宝くじは買わない」でデビューした。72年には「ぼくの好きな先生」が、80年には「雨あがりの夜空に」が大ヒット。82年には坂本龍一さんと組んでリリースしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が社会現象を巻き起こし、日本の「ロックの神様」としてコンサートのほか、CMや映画などで活躍した。
一方、「音楽は時代の刺激剤であるべきだ」との信念を持ち、政治的なメッセージを込めた歌も歌った。そのため、反原発を扱ったアルバム「COVERS」やパンクロック風にアレンジした「君が代」が入ったアルバム「冬の十字架」が一時、発売中止になったり、コンサートで突然「あこがれの北朝鮮」「君が代」を歌って、FM中継が中断したこともあった。
06年7月に喉頭(こうとう)がんと診断され入院。治療を続けた後、08年2月に日本武道館で本格復帰した。しかし、同7月、左腸骨にがんが転移していたことが判明、再び活動を中止し放射線治療などを続けていた。
◇自分の道を貫いた
▽音楽評論家、田家秀樹さんの話 日本のロックバンドと日本語のロックの原形をつくった人だった。忌野さんがリーダーだったRCサクセションは、黒人音楽と日本語を初めて結びつけ、またビジュアル系の元祖でもあった。反原発の曲をつくるなど、ロックが反骨であると証明し続けた。妥協もこびることもなく、音楽一筋を貫き通したと言える。死は早すぎた。
◇聞く者に力与えた
▽音楽評論家、天辰保文さんの話 清志郎さんの根底には黒人音楽への敬意があり、それをエンターテインメントの形で日本に定着させた功績は大きい。権威への反逆も一貫していたが、それをユーモアにくるみ、さりげなく表現していた。実はシャイな人だったと思う。彼の音楽には「彼は常に信頼できる人であり、自分もしっかりしなければ」と、聞く者に思わせる力があった。
ケサランさん>けっして熱心なファンではなかったけれど音楽の力を信じてやまない姿感銘させられてきました。
リィさん>トランジスタラジオはよくきいたなぁ。。COVERSすごいよね。
メリー★べりーさん>YOUTUBE検索してみました。ずっときいてたら、やっぱりすごいや。
日本人で身もココロも、地球人の日本人としてかっこいい人って、彼くらいかもしれないね。
皆、共通する部分で愛してやまない人はそうそう居なかったろうと思います
いろんな意味でおしい、おしいです。
こんな人はもう二度と出ないでしょう、そう思わせる一人です
忌野清志郎とうROCKスターはこれからも愛すべきファンの中に生き続けるでしょう
ずっとこの先々で歴史的存在でいると思います。
ありがとう清志郎さん☆-(ノ●´∀)八(∀`●)ノイエーイ
COVERSがRCサクセションとの出会いでした。
清志郎が大好きでした。
ご冥福をお祈りします。
残念です。
今日は雨なので 彼の歌を聞きながら 追悼。
それにしても かっこよすぎる。