フェアリング・サーガ<2.6>
- カテゴリ:自作小説
- 2011/07/29 21:25:25
<from2.5>
時間だ。
プラットフォームの通信ゲートが開き、暗号化されたデータリンクが閉鎖電脳の閉ざされた扉を開いたはずだ。
ヒムは標識ブイの光学通信レーザーにテストプログラムを乗せてプラットフォームへ向けて照射する。反応は、問題なし。渡り綱は架けられた。
扉が開いているのはあと3分と少し、通信用レーザーに乗って、ヒムはプラットフォームへと真空中を横切った。
ゲートをくぐりぬける。もうそこは、プラットフォームの中だ。
テストプログラムを起動し、構造解析。巨大な構造物=スーパーセル。その中の開かれたゲートウェイ、閉鎖電脳を確認する。
幾重にも折り重なるように存在するゲートウェイを越えてその中へ、、、、と、入る。
>侵入。
「なんだこりゃあ」
ヒムは思わず出力した。
そこに広がるのは闇ばかりだった。なにもありはしない。見、え、な、い、のだ。
だが、間違いなく彼がいま居るのは、閉鎖電脳と呼称していた領域だった。
これは、まさしく虚無だ。試みようにも、どうすることも叶わない。こんなところに外環境時間で36時間も閉じ込められるのかと思うとゾッとする。少なくとも、36時間が経過すれば、閉鎖電脳のデータリンクが再開されれば、侵入時に仕込んだギズモによって通常電脳へと、ヒムの意識を形成しているアバター・アーキテクトは強制転送される。もちろんそんなつもりは毛頭ないが。
しかし、どうすることもできぬままに、ヒムの思考は停止することなく、感覚として自時間の進行を認識する。
故に「虚無」を認識しているのである。
これは、セル上に感覚が載っていないのだ。
おそらく、この電脳のセルフォーマットは、通常のそれとは違う規格を用いているのだろう。故に最小限の機能、すなわち意識を構成する思考のタスクしか走らせることはできないのではないか。ヒムは、そう考えて、考えるのを止めた。
埒があかないからだ。そのままでは永遠の「虚無」を感覚し続けるだけなのだ。
電脳において、フォーマット、その規格あるいは志向性を変えるというのは、自身が持つ感覚、イメージを変容させることに近い行為だといえる。
例えば、ある物体、「バナナ」を認識するのには、通常無意識の内に、形状、色、質感などと言った記憶的要素の相関を規格化することで、その要素、条件を有する物体を、つまり、そ、の、バ、ナ、ナ、で、は、な、い、似、た、物、であっても、同等の近似的条件を有する物体をバナナだとしている、のだと考えるとわりやすいかもしれない。
電脳においての疑似体験とは、セル上の仮想体<アバティック・アーキテクト>が受ける規格化された疑似感覚を、エンターミナルを介してスタンドアロンな生脳という生体演算機に落とし込むことで認識される感覚だが、電脳プロトコルと言うべきエンターミナルが判別できない信号は伝達されず弾かれてしまう。そして、その結果が「虚無」なのだ。
通常その状態はエンターミナルを調整することで修正可能な場合もあるが、彼のミラーリング・アバターであるヒムの意識は、アバティック・アーキテクトと同じセル上を走っている仮想意識に過ぎない。そのためエンターミナルに相当するエンターエミュレータを実装することで、電脳プロトコル、感覚の相互性を確立しており、そしてエンターエミュレータは同時にヒムの志向性と連動している。
したがって、「虚無」を脱するには思考の転換をせねばならない。それは、例えるなら見ようとするのを聞こうとするように意識するようなものなのだ。
それは徐々に訪れた。暗闇が色を為すように、音が形になるように。
その感覚が同調し理解に足る閾値に達したところで、ヒムはアプリを起動した。ルックマッチを。擦って投げ捨てる。光りあれ、だ。
落ちた火が闇に花を咲かせる。暗闇に蝋燭の灯をともすように、それは弱弱しく辺りを照らすと、ゆっくりと途絶えた。矢継ぎ早に、それを二度三度とマッチを擦って投げ捨てる。エンターエミュレータのヴィジュアルドライブをその反応と同期させる。弱弱しかった灯火は炎へと変貌し、やがて、途端に火がついたように、世界は彩りを見せた。
一点から星明かりのような筋が拡散し、世界は照らしだされた。
エンターエミュレータはセルとマッチングされた。それは荘厳な光景だった。
まるで水晶の森だ。針の様な細いものから、巨大なランドマークの様にそびえたつものまで、様々な大きさの六角柱が至るところに無数に乱立している。
物理距離的な意味とは異なるが、ヒムの視野、ジベータ系最大の惑星δ<デルタ>の地表部を3倍にした領域をも俯瞰できるエクサクラス情報接続結節探査域を最大域にしても、なお世界はまだ広がりを見せた。単一情報ファーに乗る電脳でありながらいったいどれほどの領域があるのか見当もつかない。さすがはスーパーセルだ。
しかし、感心している場合ではない。危険を冒してここへ来たのはこの眺望を堪能するためではないのだ。
<to be continued>
でも、ちょっといまあつさでのうがとろけていて、てくにかるたーむがうまくほんやくできないので、こめんとはさしひかえさせていただきます。
……早く涼しくならないかなあ。