☆劉備
- カテゴリ:その他
- 2011/07/27 00:36:37
毎度おなじみの三国志です。前回カキコした曹操に続いて、今回は蜀の劉備を取り上げます。
字を玄徳と言います。前漢の景帝の子中山靖王劉勝の子孫であったそうですが、その家柄とは裏腹に母子家庭で貧しい生活を強いられ、草履やむしろを売って生活をしていました。
ところが、黄巾の乱が起こり、関羽・張飛と桃園の誓いを結び、義勇軍を率いて黄巾討伐に参加してからは覇道をまっしぐらです。
しかし、その後群雄割拠の状態になると、根拠地がないので各地を転々とし、公孫サン、曹操、袁紹などのもとに身を寄せることになり、荊州の劉表のもとに落ち着きます。それでも、208年曹操が南征を開始すると、劉表の後継者の劉{jは戦うことを放棄して荊州を明け渡します。そして、劉備は逃亡を余儀なくされるのですが、夏口に拠り諸葛亮を孫権のもとに派遣して同盟を結び、赤壁の戦いで曹操を撃退したことは有名です。その結果、荊州の長江以南の4郡を手に入れ、209年に荊州の牧となります。つまり、この時はじめて根拠地を得たわけです。
211年、蜀の領主劉璋の招きで蜀に入りますが、翌年劉璋に反旗を翻し、214年に成都を開場させ益州の牧となります(結構悪いやつ!)
曹丕が献帝の禅譲を受けて魏王朝を建国すると、221年「漢室再興」の大義名分を掲げて帝位につきます。
しかし、関羽の仇を取るために、群臣の反対を押し切って東征を断行し、かなりの成果をあげるのですが、夷陵の戦いで呉の陸遜に敗れ、なんとか白帝城に逃げもどったところで病に倒れ、その後の事を諸葛亮に託して亡くなりました。
その他に
・結構精神的に弱い部分がある。
・カッとなると冷静さを失うこともある。
・人柄のがいいので多くの人材に恵まれる。
・「三国志」の中では最もファンが多いようです。
待っていました(=_=)オイラは蜀のファンです。曹操嫌いです(=_=)ww
蜀には素晴らしい人材もいるのですが数が足りなかったのでしょうか・・・
後、劉禅が駄目だったですね~(-_-;)
せめて庖統が生きていれば孔明も楽だったろうに・・・
中華街ではこの日毎年関羽さんのお誕生日がにぎにぎしくイベントが行われるのですが
劉備と張飛のお誕生日をこういうかたちでは祝わないですよね。
劉備、張飛、関羽の3名いるなかで、何故関羽さんだけ商売繁盛の神様として祭られているのか
いつもとっても気になります。
市内に三国志をテーマに街づくりをしている商店街があります。
街を歩くと、三国志のキャラた立ち並んでいたりしています。
いつか読んでみたいと思ってはいるのですが。。。
「演義」だと、何故か張飛がムチ打ちやったコトになってるんですよね~
曹丕に禅譲を強いられ皇室が失われた以上、漢の正統は蜀漢であったわけで
劉禅が太祖劉邦より続く歴史と伝統の後継者であるという認識を持てなかったことが
歴史を狂わす要因であったような気がします。
名君が二代続くというのはマレですし、阿斗ちゃんを責めるつもりはないですけどね・・・。