千姫
- カテゴリ:勉強
- 2011/07/21 12:19:12
城が燃える。
幼いころに嫁いでからずっと暮らしていた大阪城が燃えていく。
侍女に連れられて千姫は大阪城にある蔵で息を潜めていた。
夫・豊臣秀頼と義母・淀殿も一緒だ。
1615年夏。
昨年、豊臣秀頼が建てた方広寺の銅銘がきっかけで
千姫の祖父である徳川家康と豊臣秀頼が衝突し戦争となった。
一時は休戦したものの翌年には再び衝突して戦が始まったが
せっかく豊臣に味方をしてくれた武将達は次々と討たれてしまっていく・・・
しまいには豊臣秀頼の居城・大阪城まで火の手があがってしまい落城するのは時間の問題となるだろう。
「もはやここまででしょうか・・・。」
淀殿が呟いて千姫は悟った。
砲弾が大阪城へ撃ち込まれる度に蔵では大きな振動を感じる。
城が崩壊していまうのが先か
それとも敵兵に見つかってしまうのが先か
どのみちもう後は無いだろう・・・
義母・淀殿の母であり千姫の祖父であるお市の方のように、我々は自害の道しか残っていない。
私もここまでの命。
覚悟を決めなければならない。
「誰か紙と筆を私によこしなさい。」
淀殿は侍女から受け取った紙と筆を手に取り文を書き始めた。
文章を書き込んだ後、何故か文を千姫に渡された。
「千姫。貴方に重大な仕事を任せます。どうか・・・この文を徳川殿へ渡してください。」
「義母上!私は豊臣の人間でございます。私は秀頼様と一緒に・・・自決の覚悟はとうにできております!。」
「千姫。貴方は秀頼の妻であり家康公とは血の繋がる孫でございますよ。貴方ならきっと大丈夫。任せてくれますね。」
「義母上・・・」
「お前達、千姫を頼みます。」
「はい!」
侍女達は千姫の手を掴み、そのまま蔵の外へ連れ出されてしまった。
「秀頼様!義母様!」
千姫は必死に叫んだ。しかし、誰も答えてはくれなかった。
炎に包まれていくお城の廊下を必死で走っていると徳川側の兵と遭遇した。
捕虜として捕まってしまうのではないかと心配したが、
徳川家康から千姫を助けてほしいという命令を受けて探していたという。
千姫たちを保護した兵は徳川側の陣地へ案内してくれた。すると
「千姫!」
「父上!爺上!」
千姫の父・徳川秀忠と祖父・徳川家康と対面を果たした。
「千姫!無事でよかった!もし千姫を失ってしまったかと思うと・・・」
「父上!爺上!私はものすごく恐ろしゅうございました。死なないといけないのかって・・・」
「そうかそうか。しかしもう大丈夫だぞ。さぞ疲れただろうに・・・向こうでゆっくり休みなさい。」
「いえ、爺上・・・これを・・・義母上・・・いや淀殿から文を預かりました。」
懐にしまっていた文を家康に渡した。
淀殿から任された大事な任務。果たさなければならない。
家康は文に目を通すのだが、明らかに憤慨しているのが分かる。
文を破り捨ててしまった。
「こしゃくな・・・あの女め・・・戦場をなんと心得ておる!」
「一体何が書かれているのですか?」
「”千姫をお返しします。なので我々の命を助けてください”だと・・・ふざけるな!我々は戦っているのだぞ!そして我々は勝利を手の内に収め豊臣「は確実に負ける!!所詮若造としても秀頼は大将だ!敗訴するとわかっているのなら、武士らしく潔く腹を切れい!」
「そんな・・・」
燃える。大阪城が燃えていく。
秀頼と淀殿と過ごした楽しい思いで詰まった大阪城が燃えていく。
愛してくれた秀頼と優しくしてくれた淀殿が燃えてしまう
燃えている大阪城は夜空を明るく照らし
まるで秀頼と淀殿をあの世へ導いているように見えた。
(千姫・・・我々の分まで生きるのですよ)
「え?」
淀殿の声が聞こえた。そのような気がした。
翌日、豊臣秀頼・淀殿が立て籠もっていた蔵では切腹を果たした二人の遺体が発見された。
学研 「新・歴史群像シリーズ 真田幸村と大阪夏の陣」
ウィキペィア 千姫
参照
~ 補足 ~
千姫
1597年5月26日~1666年3月11日
父・徳川秀忠 母・江姫
7歳。江姫の姉・茶々の息子である豊臣秀頼と結婚し大阪城へ入城する。
19歳。豊臣と徳川が衝突をし大阪の夏の陣で夫・秀頼と死別。
20歳。一目惚れした(とされる)本田忠刻と結婚。姫路城へ移って播磨姫君と呼ばれる。
30歳。忠刻のみならず姑・熊姫や母・江姫が次々と没するという不幸が続き、江戸城にもって出家をした。
毎週、大河ドラマ” 江 ”を見ているのですが、
母がこの先の展開として3姉妹はどうなるかねと言うと、
私はやはり千姫がドラマの鍵となるんじゃないと言いました。
そこから火花が勃発。
母「何で千姫なん?」
私「だって千姫は江の娘じゃん。大阪夏の陣できっと千姫を中心に3姉妹が動く」
母「え?江は秀忠との間には2人の男の子しか生んでないけぇ、そんなのありえん。」
私「い~や。千姫は江と秀忠の娘じゃあ!男子だけでなく女子も産んどる!」
母「千姫に限ってそれはない。江は千姫を産んどらん。」
私「じゃあ、千姫は誰の子になるんねぇ?」
母「知らんけれど、とにかく千姫は江の娘じゃない!」
私「い~や。絶対に千姫は江の娘じゃあ!!」
それからずっと産んだ産んでないと口論しました。
なんか悔しいので調べ上げた結果やはり千姫は江姫の娘。
私、間違っていなかった!
いつ振りかもう覚えていないですが、元気にやっています^^
仕事もバタバタ、やっと休みのお盆もバタバタでまた休み明けると・・・。
このブログを読んで、確か京都の知恩院に千姫の墓、もう10年程前になるかな?行ったことを思い出しました。
過去にやった大河ドラマで「葵徳川三代」を見て行ったような・・・
知恩院のあの長い階段のほうが記憶に残っていますがw
また不定期ログインになるかもしれませんが、今後もニコタ楽しんでくださいね^^
それといつもありがとうございます。
でも
元をたどれば織田家の血筋
秀吉に滅ぼされた浅野の
末裔が延々と平成の世になっても残り
滅ぼした豊臣が亡くなったのはなんでしょうね…
歴史の不思議さでしょうか?
そのうち、長女だけは前夫との間の子だ。
長女は関白九条家、五女は天皇家に嫁いでおる。
将軍と天皇と関白を孫に持つ、日本史上最高のスーパーセレブ・お江ちゃんなのよっ!!
千姫様の絵の付いた
絵馬みたいなの買いました
かわいそうなお方ですね。
豊臣秀吉のいちゃもんはあんまりだと思い、
私が秀吉を好きになれない理由の一つです><
そして、お母様との方言でのやり取りに萌えてしまう私^^;
でも、母上様とそんなお話ができる蘭丸様が羨ましいです。
我が母上は歴史を全く知らないので……。
淀殿は敵方の徳川様のまで助けを求めるという強さがあるのですねv
徳川様の「武士らしく潔く腹を切れい!」というお言葉には納得してしまいました^^;
職場や学校、近所の迷惑さん困ったチャンはスルーできますが、身内の迷惑さんには 困ったものです。
死ぬのは私達だけでいいと思ったんでしょうね。
最後の、紙に「千姫はお返しするから命をお助けください」と書いていたのに、
切腹した遺体が見つかったのは、どうしてなのかなと思ったのですが、どうしてでしょうか。
蘭丸ちゃんはやっぱり歴史にとっても詳しいですね、
こんなに本格的な内容のお話やブログがかけるんだもの!!
歴史検定の合格発表楽しみですね、わっくわく(●^o^●)
おかあさんとの方言丸出し会話に、聞きほれてしもーたぁ♪
蘭丸さんも、ナマドルになりんさい。
千姫、かわいそうですね・・・
蘭丸さんは間違ってなかったですね^^
それにしても戦国の女達はすごいな