ついにとんでもない事が起きた。
- カテゴリ:30代以上
- 2011/07/08 15:37:55
2学期になった。
私は一学期の3者会談と言うか、父母と教師の進学相談で、家族会議の末、ぎりぎり4年生大学に推薦出きる所に引っかかっているが、4.2まで上げないと、上から何人と決められるので難しいとの話に私の意見を聞かないプチ家族会議で家庭教師をつけて4年生大学を狙うことになった。
其の為に1学期の終わり頃にはすでに棒大学医学部の学生が家庭教師に来て、伸ばせる科目は伸ばし、伸ばせない科目は最低限のホローと言う事で物凄いスケジュールが組まれた。
帰ってくると出された参考書をやる以外は風呂と食事しか自由時間が無い。
頭が可笑しな事になるのかと思ったが、普通の受験生は中学に其れをやっているし、他の受験生も当たり前の生活らしい。
で、持って私に2つの変化が起きた。
一つは体系である。私は其れまで例の「完璧な肉体(マリリンモンローの様な出る所は出て、引っ込む所は引っ込んで)の体系を作るために腹筋と腕立て伏せと階段をつま先で登る事をしてきたが、其の気力が無くなった。
其の為に腹と腕がぶよぶよな体系に向かってきたのである。久しぶりに腕立て伏せをとやっても体が重くて上がらないし、精神的に受け付けないのである。
更にテストを配る時に上位10人は点数を10番目から言って返す。私がそれに呼ばれるようになった。
其の為に友達が変わったのである。私は日本三毛猫軍団に取り込まれた。
家庭教師をつけた事は内緒である。だが、彼女らは私を入れて最強のクラスのリーダー格になった。
殆どの事は日本三毛猫軍団の提案で決まり、指示で行動した。
とある二人を抜かしてクラスは一つにまとまった。
一人は転校生の彼女であり、一人はやや親友だった子犬軍団の子だった。
やや親友の彼女は父親の都合で高校を卒業すると海外に行く事に決まっていた。
それを彼に報告すると彼女は失恋をした。
別れを言い出したのは彼女だった。だが、彼から「待っている」との言葉を聞きたかった。だが其の言葉は無かった。
その場に例のごとくアイスクリームと寂れた遊園地の優待券で着いていくことになった私は、泣きじゃくる彼女の側にだまって付いていた。
彼女からポツリ、ポツリと語られた言葉の中に『文化祭の占いの館で、貴方は性格が悪く、冷たい態度を取り、結局二人は解れるでしょう』と言われたので、私は彼の言われたとおりに学校を休んで此処に居ろと言われれば居たし、泊まれと言われたら、友達の所に泊まるといって泊まった。彼に嫌われないように努力してきた。
「あのクラスの「占いの館」には、入るなと誰も言われなかったのか!?」私は経緯を簡単に説明した。初めから、彼氏の居る人にはそういう言葉を言う予定のだった。
其れを聞いて私はクラスの一人に其れを知らせて、うちのクラスは全員行かなかったはずだ。何故!?
そうだ、あの時彼女は金曜日は休み、土曜の朝、ぎりぎりに来て朝礼を済ますとすぐに彼氏の所へ行った。誰も彼女に其れを伝えていなかったのか!
彼女の話だと、土曜の朝、学校に行くと特別に始める前に彼女だけ占ってあげると連れて行かれたらしい。
彼女は「あの占いの言葉を聞いても聞かなくても同じ事をしたと思うから」とぽつりと言った。
其れが3年の1学期の終わり。
2学期に入ると彼女は別人の様になってきた。髪は染めてカールがしてあって、薄く誰の目にも口紅が塗ってあり、流石に周りの子犬軍団も離れた。
子犬軍団は、私と彼女が抜けて、もともと割りと仲が良かった雑種軍団と一緒のグループになっていた。
その後、転校生の彼女と其のやや親友だった子は急速に接近し、転校生も髪を染めて、薄い色のマニュキュアをして、学校も休みがちになり、早退もする様になった。
2学期の中ごろには流石に私の様にぎりぎり系列の女子短大だった人が何が何でもと流石にロシアンブルー軍団もシャムネコ軍団もペルシャ猫軍団も雑種猫軍団も勉強し始めた。
其処はどんなに大金を積んでも今まで膨大な寄付をしても、大概の40~60名の家は其の程度の寄付をしているので、どうしても無理な点数の学生は無理だと1学期に言われていた。
無理だと言われたとか、ぎりぎりと言われたとはっきり言っている子も居たが顔色を変えて私みたいに勉強をし始めた子も居た。
その子達もたまに名前が呼ばれた。
私は三毛猫軍団の休み時間に問題を出し合う制度にとっ捕まって、毎日科目を決めて範囲を決めて問題を交互に出し合ってすごしていた。
何と彼女達は何年間もそうやって過ごして居たそうな・・・。子犬軍団が全校を使って教師が居ないところでは全力で走る鬼ごっこをしていた時にである。
家庭教師の出す参考書をクリアしながら、前日に範囲を決めた所を丸暗記しながら三毛猫に付き合い、自分は狂うかもと思いながらの生活をしていた時に事件が起きた。
中学から高校に殆どの人が行けたけど、下から5人位がいけなくなった。
其処で学校は度不良を処分するから、高校は殆ど度不良らしき人は居なくなるシステム。
高校から、女子短大、4年生大学と在ったけど、4年制大学は外からの入試の人が優先と言うか、推薦は4以上と決められていた。
大概は10人前後。其の年によって違った。
私は4.2に上げたけど、私が最後の一人。
と、言うのも私が女子短大に行けば、次の人が行けたみたいで、その子から、うちは家計が苦しいので大学で無いと入学金が払えないから、女子短大に変えて欲しいと電話が在った。
3倍位だったと思う。其処を出ていれば、お金持ちのお嬢様と言うレッテルが貼られるから、(毎日洋服を変えて行く人が多かったみたい。)見合い話のステータスにはなった。
大学はそれとは反対にレベルが高かったけど、其のステータスは無く、汚かったし、総てが嫌だったね。
でも、嫌いな大学でやっとの思いで通っていた。引きこもりとか、ニートとかが無かったから、行くもんだと思っていたから、行っていた。
ゼミも殆ど男子で批判したら、執拗に反論されて、今も其の内容は覚えている。
最後の結論は私の行ったとおりなんだけど、彼と幼稚と批判したのでねに持ったみたい。
よくあるやつ。「新聞は真実を伝えているのか。」「ニュースが伝える真実について」「真実と事実とのちがい」みたいなテーマ。
私は「新聞は真実を伝えられない。」の意見の方。この意見は少なかった。でも「新聞は事実を伝えられても真実は伝えられない。」「真実は事実の積みかせで、真実に近くはなるが、真実ではない」と言う意見。
新聞を正義と真実を伝えるための道具、手段とする彼に、幼稚だと言ったのがカチンと来て、其の後の嫌がらせの質問が凄かった。
思わず小学校時代を思い出して、トラウマに成ったよ。
何回かゼミを休んで行くと、結論が私の言ったのになっていた。
更に変更報道と、リークまで進んでいた。流石大学と思ったけど、毎日が苦痛だった。
男子は汚いし、乱暴だし、小学生並みな自己主張だけ。
社会人になって考えが変わった。今も非常時になると男の力の凄さを知るのと同じ様に、仕事のできる男を見るとドキドキする。家でぐ~たらでもね♪
まあ、それはおいといて、、、
学校の成績でグループが変わったりするもんなんですね。
わたしは、中学は公立だったんですが、
いつも遊んでる連中の進学が決まって、聞いてみると、
ひとりはAO学、ひとりはKO、、、
聞いてみて、エッて思ったけど、一緒に遊んでても、その後が違ったんだろうね。www
結局、私はそのよりランク下の大学の付属に行って、遊んで暮らしてました。
高校では、まあまあ成績がよかったので、どこでも好きなとこ行っていいよって。
トップを狙うより、ワンランク下げると、世の中こんな楽なもんかと、、、
社会に出ると、勤勉さが足らないのが、如実に現れ、
真面目に勉強してた連中は、仕事も真面目だな、、とか思うときもあります。
仕事は、真面目な努力が報われるとは、限らないけどね。