評価
- カテゴリ:人生
- 2011/07/07 00:37:28
自分自身を自分はこうだとは評価できないが、
第3者が自身と接していくうちに分かる、良し悪し含めた苦言をしてくれるような評価はありがたい。
しかし、まだ一緒にに事を進めていない、もしくはまだあったことのない人に
前情報として先立って、
あの人は○○だから気をつけておいたほうがいいよと、
一方的に決め付けられるような評価はちょっとと感じる。
もしくは、人気を狙う為に、自分自身を過剰評価するのも疑問を感じることがある。
もし知らない方に一人歩きした虫のよすぎる評価をされても私は黙っていることが多いし、
勝手に言っておけばいいと思っているので、もしそれがマイナスになったとしても、
自身がそれについて意見を申せばいいと楽観的に考えているともいえるが。
では評価というのはそもそも何かと考えてみると、
自分と関わりを持った方々に、アンケートもしくは口頭で偽りなく意見を言ってもらう。
そのサンプル数が多ければ多いほど、実際に近いものがでると個人的に考えている。
この考えは甘いのかもしれないが。
そこから得られた結果を元に自分の弱点を見つければいいのだから。
自分自身を知るきっかけにもなるはずなので、
私は、仕事でもなんにしろ、思ったことは陰で言うのではなく、
隠さずなんでも言ってくださいというようにしている。
はっきりしているといわれればそうなるのだろう。
それでいいのだろうなあ。
このことはリアルでのことであり、ニコタのことではないことを付加しておく。
世間であることはニコッとでもあること、といえる場合が多い。
一方的に決め付けられた評価を聞かされた場合、それは
たぶん個人的な感情などが入る場合が多い。
あのひとは「こういう行動をとる人だ」というそういう意見なら
耳を傾けるに値するものだと思う。
ただし、その意見を言う人が「人を評価する立場」だったとしたら
一方的な判断があることはこれは避けられないのではないだろうか?
下のコメントで、隠さずに言ってくれるひとは皆無だと考えてるとかかれているが、
ある物事に対してアンケートや意見を求めた場合、偽りない意見が全く出ないということはない。
アフロさんは理解の上書いているようなんだが、知りたい物事によっては
人に聞いた意見ではわからないこともある。
ひとは、すべてを隠すことはできず、またすべてをつまびらかに公にすることもできない。
その意見の中で、取捨選択ではなくその意見の正当性を、または正確さを考慮して
言われたことから自分の行動を導いていけばいいことなんだと思うよ。
特に、アフロさんの仕事は読み聞かせなどでも子供にかかわることが多い。
であれば、ただ単に取捨選択をすることではもう自分の行動の基準としては
不足になってしまうことは、たぶんあなた自身がよく判ってるんだろうと思う。
正直、今回のは「自分自身を見直すため」に書いたんだろうから、コメント付けるかどうか
非常に迷った。
今はそういう時期なんだろうけど、四六時中仕事とかかわってるわけではないんだから、
もう少し、遊びと仕事のメリハリをつけないと、たぶん疲れちゃうよ?