☆曹操
- カテゴリ:小説/詩
- 2011/06/30 00:51:12
三国志というくらいですから、三つの国が関係しているのは誰にでも分かりますよね。
では、それらの国の代表者をちょっとだけまとめてみましょう。(これを知ると三国志はいっそう面白くなりますし、それぞれにファンがいることも分かるでしょう)
今回は魏の曹操を取り上げます。
字を孟徳と言います。父の曹嵩は、夏侯氏から、宦官曹騰の養子に迎えられ、のちに太尉の位を一億銭で買い取った人物です。
若い頃の曹操は悪いことをしていたそうです。そして、その当時の悪友が袁紹でした。また、許劭に「治世の能臣、乱世の姦雄」と評されています。つまり平和な世の中であれば有能な官僚になり、乱世であれば一転してあくどい英雄になるということです。
20歳にして孝廉に推挙され、北都尉に就任。184年に黄巾の乱が起こると、騎都尉として討伐に派遣され、功績をあげ、済南の相に任命されます。一時郷里にひきこもるのですが、首都防衛のために西園八校尉が新設されると、典軍校尉になりました。
189年、大将軍の何進らが、宦官の排除を起こすのですが、曹操は傍観者の立場をとります。やがて都を制圧した董卓に協力を求められるのですが、これを断り、都を脱出し、袁紹を盟主に反董卓の兵をあげます。
192年、董卓が呂布に殺され、諸侯が争う状況が現出すます。以後、曹操は青州の黄巾軍を討伐し自軍に編入し、さらに大義名分を得るために、献帝を迎え入れ、袁紹と対抗する巨大な勢力を築きあげます。
200年、官渡で袁紹を破り、ここに曹操の覇業はゆるぎないものとなりました。ついで208年、荊州の劉{jを降伏させ、呉の制圧を目指します。しかし、呉の孫権と劉備の連合軍に赤壁で大敗をくらうことになり、以後、魏・呉・蜀の鼎立時代を迎えることになります。
しかしながら、天下の三分の二は曹操の支配下にあり、216年には魏王の位に昇ります。220年、66病没。
その他に
・戦う能力だけでなく、詩にふけるなど風流な一面もある。(意外と文武両道)
・妻が13人もいながら未亡人鄒氏にも手を出す。(結構女好き)
・カリスマ的な統率力を持つと同時に無用になれば即座に切り捨てるようなドライな側面もある。
・晩年は魏王の座に固執して、忠臣を処罰することもあった。(このことが後に悪人とされた理由?)
曹操は女好きというイメージが湧かないなぁ