94歳 肥田医師のお話 1
- カテゴリ:ニュース
- 2011/06/21 01:12:33
肥田 舜太郎(ひだ・しゅんたろう)
1917年広島生まれ。1944年陸軍軍医学校を卒業、軍医少尉として広島陸軍病院に赴任。1945年広島にて被爆。被爆者救援にあたる。
全日本民医連理事、埼玉民医連会長などを歴任。現在、全日本
民医連顧問、日本被団協原爆被害者中央相談所理事長。自身の
被爆体験を原点に、被爆者治療と核廃絶運動に関わり続け、
全日本民医連理事、埼玉民医連会長などを歴任。現在、全日本
民医連顧問、日本被団協原爆被害者中央相談所理事長。自身の
被爆体験を原点に、被爆者治療と核廃絶運動に関わり続け、
今もなお各地での精力的な講演活動は続いている。
著書 『広島の消えた日―被爆軍医の証言』、『内部被曝の脅威
ちくま新書(541)』など。
著書 『広島の消えた日―被爆軍医の証言』、『内部被曝の脅威
ちくま新書(541)』など。
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双方ともにみなさんに強くお勧めします。
なお肥田先生は、今回のお話の中で、今回の事故のおける被曝の問題に触れて、
次のように語られています。
「元気な者も含めて、放射線の病気が始まってくるのは、
おそらくこの秋から来年の春にかけて、たくさん出てくるだ
ろうと、わたくしは想像しています。」
おそらくこの秋から来年の春にかけて、たくさん出てくるだ
ろうと、わたくしは想像しています。」
ここはとても重要な点だと思います。とくに注意を要するのは
「ぶらぶら病」と言われる、前回の発言起こしで紹介した症状です。
現代の医学では病とされないものだからです。しかし広島・長崎の多くの被ばく者がこれで本当に苦しんできた。
「ぶらぶら病」と言われる、前回の発言起こしで紹介した症状です。
現代の医学では病とされないものだからです。しかし広島・長崎の多くの被ばく者がこれで本当に苦しんできた。
そのため、この症状がどのようなものか、できるだけ多くの人々でシェアし、似たような症状が今後出た場合のケアを実現できるようにしていくこと、政府にこれが原発事故由来の症状であることを認めさせ、行政や医療機関にも理解してもらって、せめてもさまざまな補償を受けられる社会的態勢を、今から作り出していくことがとても大事だと思います。
内部被曝による苦しみを、少しでも軽減するためにです。
・・・この点については、回をあらためて詳しく論じていきたいと思いますので、ともあれ今回もまた、肥田先生の迫力あるスピーチの内容をお読みください。
動画も25分と前回より短めですので、余裕のある方はぜひ
ご覧ください。
ご覧ください。
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被曝医師・肥田舜太郎さんが語る『真実の原子力』
http://www.youtube.com/watch?v=3p73GY19ZrY
http://www.youtube.com/watch?v=3p73GY19ZrY
みなさん、こんにちは。私は今ご紹介いただいた、肥田舜太郎
という内科の医者です。94歳ですから、あんまり、確かなよう
に話すことが出来ないかもしれませんが、みなさんに、みんな
が教えられていない、広島長崎原爆の本当の被害の中身を、
短い時間ですが、簡単に分かるようにお知らせをします。
という内科の医者です。94歳ですから、あんまり、確かなよう
に話すことが出来ないかもしれませんが、みなさんに、みんな
が教えられていない、広島長崎原爆の本当の被害の中身を、
短い時間ですが、簡単に分かるようにお知らせをします。
ご承知のように原子爆弾は放射線のエネルギーを元にした
爆弾です。今までの日本、世界中の人々が持っていたどんな
兵器とも全く違う、放射線というものを燃料に使って爆発
させる。ですから、その被害を受けた人は、やけどをしたり
強い爆風で吹っ飛ばされたり、する被害の他に放射線が人間
の体を色々と壊します。
爆弾です。今までの日本、世界中の人々が持っていたどんな
兵器とも全く違う、放射線というものを燃料に使って爆発
させる。ですから、その被害を受けた人は、やけどをしたり
強い爆風で吹っ飛ばされたり、する被害の他に放射線が人間
の体を色々と壊します。
直接爆発した下にいた人は、いわゆるピカを浴びた人は、
頭の毛が抜けたり血を吐いたり、体に他の病気では出ない
紫色の斑点が出たり、特殊な5つの症状で直後に、頭の上で
爆発した放射線を浴びた人はたくさん死にました。
頭の毛が抜けたり血を吐いたり、体に他の病気では出ない
紫色の斑点が出たり、特殊な5つの症状で直後に、頭の上で
爆発した放射線を浴びた人はたくさん死にました。
ところが、放射線は爆発したその町に残っていて、1つは、
地面の上に降り積もっていた放射線の粒子、粒を人間が
触ったり歩いて飛び立った誇りとして吸い込む。
また水源地が侵されて水の中にたくさんあるのを飲む。
地面の上に降り積もっていた放射線の粒子、粒を人間が
触ったり歩いて飛び立った誇りとして吸い込む。
また水源地が侵されて水の中にたくさんあるのを飲む。
それからあのきのこ雲という舞い上がったあの雲は、爆発の
時に参加しなかった生のままのプルトニウムとかウラニウム
という、放射線の粒があの中にいっぱい詰まっていて、
それがいっぺん成層圏まで舞い上がります。しかし小さな粒
でも重みがありますから、降ってくる。
時に参加しなかった生のままのプルトニウムとかウラニウム
という、放射線の粒があの中にいっぱい詰まっていて、
それがいっぺん成層圏まで舞い上がります。しかし小さな粒
でも重みがありますから、降ってくる。
だから後からオヤジを探しに街に入った四日後に妹や弟の
様子を見に入った、自分は爆発とも何の関係の無い人が後から
街に入ったために広島でも長崎でも今の意外では診断の出来
ない不思議な病気がおこって大変苦しみました。
様子を見に入った、自分は爆発とも何の関係の無い人が後から
街に入ったために広島でも長崎でも今の意外では診断の出来
ない不思議な病気がおこって大変苦しみました。
それで大部分の被ばく者は、今から10年ほど前から今もそう
ですが、50年60年経ってから癌や白血病という悪性の病気で、
今、どんどん死んでいます。つまり、戦争の終りに被爆をした
人が、60年も生きて、その生きてる間も、健康で過ごせたので
はなくて、しょっちゅうお医者さんに行って入退院を繰り返す。
ですが、50年60年経ってから癌や白血病という悪性の病気で、
今、どんどん死んでいます。つまり、戦争の終りに被爆をした
人が、60年も生きて、その生きてる間も、健康で過ごせたので
はなくて、しょっちゅうお医者さんに行って入退院を繰り返す。
つづく