途中でやめちゃいました。
- カテゴリ:日記
- 2011/06/15 21:42:26
インゲン豆を摘みに庭に出る。
止んでいると思っていたが、かすかに降っている雨で
肩がひんやり。
今を盛りに紫陽花が庭を彩っている。
「柏葉あじさい」 「 墨田の花火」
そんなに興味のなかった花の名前を知っている。
一緒に暮らすとはこういうことなんだろう。
夏椿の小さな花が雨に打たれ、花びらを落としている。
時期を過ぎた花が雨に打たれている姿は
やはりどことなく物悲しく感じる。
そして声をかけなかった友達 T 君のことを思う。
なんでもいいから話せばよかったのに、とも考える。
T 君
僕にとって人生の一部ともいえるギターを
いまのように弾くきっかけをつくってくれたのは、
まちがいなく彼の存在だった。
彼からバンドに誘われてからのつきあいだった。
変人とまでは言わないが、個性の強い人間で
とにかく何に対しても一途なのだ。
バンドを初めてしばらくして彼は
”寺内タケシ”という 神 に出会う。
もちろん熱烈な信者になった。
僕らは信者ではなかったが、バンドリーダーに
引っ張られあちこちと(布教活動?)。
就職したら、仕事に対しても一途な性格が
功を奏して、仲間では誰よりもはやく出世した。
その少し多い収入を惜しげもなく音楽活動に
注いだ。
こんなエピソードが。
ある日彼の家に行くと、8畳間の真ん中に
グランドピアノ。
もちろん居間。
座る場所もないと言っていい風景なのだ。
彼の言葉 「昨日ピアノを買いに行ったら、
やっぱりアップライトより、全然音がいいから、
これにしたよ。」
音がいいのはわかるしけど、
フルサイズではないにしても、その場で
買ってしまう、 そういう人。
その頃はもうそれくらいでは驚かなくなっていたけれど。
僕が彼のバンドに在籍したのは2年足らずだった。
しかしその後も、音楽仲間としてまた、
気持ちの中にはいつまでも自分のギターの先生として
付き合いが続いていた。
彼がどこかで道に迷うまでは。
最後まで書くつもりだったけど、
僕の根っこの部分の話なので、長くなりそうだし、
シリアスすぎるのはいやだし、
ちょっと忙しいし。
と いうところで、
来週にでも続きを書けたらいいな、
と思っているところであります。
のっぷらーさんの感性は、とても透明感があるので。
文章を読んでいても引き込まれるところあります^^
人生に音楽があるというのは素晴らしいことだと
思っています。
それぞれの趣味で同じように思っているんでしょうが。
長く一人で弾いていましたが、最近誘われて一緒に
やっています。
やはり楽しいものです。
さくら*さん
続きがいつになるかわかりませんので。
この話、彼がギターを弾くきっかけが、実は僕の書いた
詩にあることが、ずいぶん後でわかる。
ということがいいところだったんです。
さくら*さんのコメントに心を洗われたことも
多いです。
紫陽花らしいのは西洋紫陽花なんでしょうが、
山紫陽花のほうが日本的で可愛いなぁと思います。
西洋紫陽花のようにガッツリじゃなくて、
妙に空間があって、
紫陽花のがくのひとつひとつがちゃんと目に飛び込んでくるから。
空間があるって、寂しいんだけど、
一方では個性を際立たせてくれますもんね^^
続きはいつでもよいし、断片的にちょこちょこ更新してもいいし、
「やっぱりもう書かない」でも全然大丈夫。
私の中では、ひとつのお話として完結して読んでいますよ~☆
楽器を追求している人は、個性も強く独特の生き方をしている人が多いようですね。
でも、いつまでも音楽を楽しみたいですね。