自分の結婚観2
- カテゴリ:恋愛
- 2011/06/05 17:07:43
先日書いたやつはどうもきれいごとになってしまった気がするので、今回は赤裸々に書いてみる。
本当のことを言うと、私は自分を女だと思っていない。
女の集団から陰湿ないじめを受け続けたこともあり、自分もあれと同じ女だというのがほとほと嫌になってしまったのだ。
けど、あんな女も異性の目でみればかわいいもんだ。
男友達からそう言われ、突き放してそうして見ると確かに許せる気分になった。
その頃から、女性を見ても「私が男だったらこの子はどんな風に見えるかな」と1つクッションを置く。
そうしたら女の子と話すのが楽になった。
それから多分私はずっとそうして生きている。
大学に入っても就職しても、私にとって男性のほうが同性に近く感じられていたので男を恋愛感情を持って見たことがない。
いや、恋愛感情らしきものを持ったことが一度あったが、その人からは初めて恋愛感情なしに大好きな女だ、と言われたものだった。
そんな感じなので、結婚に恋愛要素はなかった。
結婚自体も、ま、世の中にはホモという恋愛形態の人もいるわけだし、私もそうだと思えば許せる…かもと自分をごまかした。
そうでなければ、友人同士の同居だ。
「ママ」と言うのは職業みたいなものだと思っている。
今でも我慢できないのは料理や菓子を作ると「女らしいね」と言われることだ。
これはげーと吐きそうになるほど気持ち悪い。
私の料理好きは単に物を作るのが好きなだけで、女らしいからではない。
裁縫が好きなのも、然り。
うちのだんなは面倒くさがりだ。
縦のものを横にもせず、誰かを呼びつけてやらせようとする。
多分私に猛アタックしたのも、見合いを2度するのが面倒だったからじゃないかと思う。
けど、多分この面倒くさがりな性格があったからこそ私なんぞと結婚する気になったんだろう。
正直いらいらすることも多いが、結婚しなければ今のこの騒がしくも素晴らしい生活は出来なかったのだなと思う。
こっちがパーフェクトな人間だったら相手を非難できるけど、そんな奴いないしねーというのが私の偽らざる結婚観だ。
いや、まったく大人気なく食って掛かりますよ^^;
とりあえず喧嘩する時は離婚も辞さないと思い詰めてからやりますので、相手はたいてい迫力負けしてしばらくうじうじ言っています。
本当に、家事こそは褒めないとやらんぞ、と子供らにも言い聞かせて^^;彼らがやった時には大いに褒め、あんたらも感謝した時は褒めなさい、と言ってみたりして。
ままママさん方のコメントへのお返しになってしまいますが、うちは3人兄弟なんだから我慢するところは我慢せい、と言うんです。
確かに3人兄弟だからこそのリスクはあるけど、兄弟が多いからこそのメリットも沢山あるんだぞ、と。
兄弟がいなければ、家に帰ったら誰かと遊んだり、ポケモンの歌を歌いあうことだってできないんだから。
お互い気負わずやって行きましょう^^
うちのダンナも自分の労働を時給換算よくしますが、それを聞くと私は密かにカチンときています。
夫婦の間でも通じない理屈があるのはしようがないし、説得する方が面倒だったりしますけど、
自分を認めてもらえないのってツラいです。主婦業は家族に認めてもらわないと他の誰も見てないし。
…あ、家事以外だと認めてもらえるから、家事が後回しになっちゃうのかー。私(^_^;)。
それは自分をよく知った、出来ただんな様ですね^^
うちは私が休日働いていても「所詮パートで賃金安いんでしょ。楽してるよね」とか平気で言いますよ。
子供が小さいころは「専業主婦なんて楽でいいよね。俺が出たら昼寝ばっかりしているんでしょ」と言われ、ではと働きに出ても「俺より全然稼いでないでしょ」と結局家事は何もしません。
そんなダンナでも子供を笑わせるのは私よりうまいし、ま、できない所を補っているんでしょうね。
そうそう、そんな感じです。旦那は「男はいつまでたっても少年なんだ」と公言?してます。
うちの旦那の上手いところは、女性(母)に対して憧れがあって、ある意味尊敬してくれていて、
本音は「良妻賢母で娼婦にもなれるのが理想」で、ホントは不満もいっぱいあるのは見えるんだけど、
「専業主婦は職業。夫婦で役割分担しているから給料の半分はお前のもの」ってスタンスで、
私が疲れていると、ときおり「お前は変に頑張り過ぎ」「今のままで十分」とか、うまいこと言って、
私のほうがおだてられている状態かも。
最近サボっていたけど、私ももっとダンナを褒めてあげなくちゃ、ですね。
それは男と女の動物的なメカニズムなのだと聞いたことがあります。
つまり男は子孫を作るためには種を撒くしかないから生涯現役でいたがるけれど、女は子育てが一番の仕事だからそれが始まればそっちに全力投球する。
男は公然と撒ける唯一の女にいつまでも女であって欲しいけれど、女は閉経がある分一生恋愛なんてしても仕方ないと体が訴える。
それを恋愛感情の喪失と感じるのかも、と。
男も女もホルモンの働きが弱まった老年になれば、長年の間に気心知れた相手になるのかな。
「わがままな猫を飼っていると思えばいいのよ。ちょっと無愛想で不細工だけど、餌をあげるうちに情も湧く。一人でいるよりたまにでもこだまが返るほうがいいものよ」とだんなを評した年長者がいましたが、そんな気でもいいのかもしれない。
今は何でも恋愛とかときめきがないといけないような風潮がありますが、そっちのほうがまやかしなんじゃないでしょうか。
私のこれからの目標は、少しでも老後に心地よく出来るよう、今からでもなるべく「かわいく(げー)お願い」して、彼にも家事に参加させることです。
男は女々しいんじゃなく、子供と一緒、私達と一緒で褒めてもらいたい、すごいと言ってほしいだけなのだと思いますから、何かやったら大げさにほめておだててあげましょう。
こっちはそんなつもりでも、相手のほうは「俺は頼りにされてる。愛されてる」と思うものです。
そいでもって、私もそれなりに頑張っているのだから大いにほめていいのよ、言葉にしないとわからないからね、と言いましょう。
特に日本の男性は、妻は言わなくてもわかっていると勝手に合点しているようですから。
そうしてお互いにちょっとだけ気を使い、それなりに気心の知れた同居者として生きていくことが、外から見れば「素敵な熟年夫婦」に見えるのかもしれません。
なんちゃって、またえらそうなことを書いてしまいましたが、書きながらもっとだんなをほめてほめて褒めちぎって、いろんなこと覚えてもらわなくっちゃ! と誓った次第です。
老境になってお互いに「こんなはずじゃなかった」と思わないよう、手抜きできるところは手抜きしつつ、ぼちぼちやっていきましょう^^
女は大概、子供産むと「女」より「母」になっちゃう気がする。
そうなると、きっかけが恋愛でも見合いでも、夫婦として変わりないですよね。
少なくとも私は、恋愛感情みたいなものがほとんどなくなり、
ダンナの気持ちは相手するのが面倒なだけというか(^_^;)
そうなると、男のほうが女々しいですよ。女というか母のほうが男らしい。
男らしいとか女らしいって言葉は、個性の美徳を表すのに適していない表現なんですね、きっと。
料理や裁縫が好きなグリコさんは素敵だけど、それを女らしいと表現するのはおかしいですよね。
共同生活を築く、子供を育てる、という意味では「結婚」には性別はいらないかも。
子育てが一段落したときに、共同生活を続けたいと思うか、女に戻りたいと思うか。
私が女に戻りたくないのに、ダンナに女であってほしいと言われたら、やっぱり面倒かも。
愛情が薄れたら(恋心はすでにない)、老後は付き合ってあげれないかなー。
…ステキな熟年夫婦は難しいのかなー。
一時期は日本にも男女平等の波が訪れたかと思いましたが、今はまた女らしく、男らしくと縛りが強くなったと感じます。
あまりに外見や人の目を気にするのも一因ですよね。
自分は自分らしく、他人は己と異なる価値観で生きていることをいつも感じて生きたいですね。
ジョバンニさん
「過ちを犯したことがないものだけが石を投げよ」ですね。
日曜学校のこの話はとても印象に残っています。
石を投げられることはあっても、投げる側には立たずにすみますように。
こきりこさん
私も女らしい体型をしていませんが、年を取ればでっぱりなど垂れて邪魔になるだけだし、表面の皮1枚を云々してもむなしいものです。
それまでに少しでも中身を充実したいですね。
なんて、またきれいごとを言ってしまいました^^;
本当は、私はどんどん男か女かわからなくなっていく体型が嬉しいのです。
美点みたいな部分が嫌いです。気持ち悪いというか。
自分が女らしい体型をしてないので劣等感のせいだと思ってたけど、もしかした
ら、心も女らしくないのかな。
なんて、自己分析してしまいました。
先日のブログのコメントではありませんが、自分が完璧でないのは誰でも一緒、それをお互いに認めたうえで人間関係を構築していければ、きっと良好な関係を築いて行けるのだとおもいます。
女らしさ・・男らしさじゃないよ
こうあるべきって教育こそおかしい
人間として人 ヒューマンっていうなら
男も女もマインドは一緒
種の保全はオスメスということになるね
でも 雄雌だけじゃなりたたないよ。精神世界は・・
人として居場所があるのも家庭でしょ そこに子供と言う血脈と得たことは感謝だね