☆呂布
- カテゴリ:その他
- 2011/06/03 00:29:56
三国志で最もクセモノと言われる呂布は何度も裏切りを繰り返していました。しかし、その最期はというと・・・・・・
曹操は勢いに乗り徐州の陶謙を攻撃しに行きます。これは遠征だけではなく父親の仇討ちの意味もあったと言います。
しかし、ここでも事件が起こります。すなわち、部下の謀反です。さらに、ここに呂布が加わり曹操の留守は大変なことになってしまい、知らせを受けた曹操は急遽引き返すことになります。
ところが、その呂布も苦戦を強いられることになり、曹操も泥沼化していくことになります。(このころ徐州の陶謙は死亡し、劉備がちゃっかりと後を継ぎました)
泥沼化していた戦でしたが、さすがの曹操は呂布軍を破り、呂布は劉備の元に逃げ込みます。しかし、呂布の悪い癖は直っておらず、劉備と袁術が争っている間に謀反を起し、さらには劉備の妻子を人質にしました。
妻子が人質ですから、劉備は呂布と和睦することになります。しかし、この期とばかりに劉備を攻めてきた袁術を追い払ったのは呂布でした。ところが、返す刀で再び劉備を攻めます(劉備は曹操の元に逃れます)。
その後、呂布は袁術と曹操の間を行き来しますが、結局袁術と組むことになり、劉備を攻めます。ここまで来ると、黙っていられない曹操は呂布討伐に立ち上がります。さらに、呂布の悪運もこれまでで、頼りの袁術の力も衰えており、あっけなく捕らえられてしまいます。そして、劉備の一言で曹操は呂布を処刑することを決定し、あっけない最期を迎えました。
クセモノらしい最期ですね。
一番最初の裏切りがすべてでしたかね~?(-_-;)