フビライ・ハン
- カテゴリ:勉強
- 2011/05/30 23:44:23
貴様!このフビライ様を知らんとはこの愚か者め!
本来なら首を跳ねてやるつもりなのだが
今のフビライ様は機嫌が良い。まあ許してやる!
今の俺様は絶好調だからな!
邪魔者は一斉に排除して“元”という国名に変更してやった!
あとは~そうだな
大陸を越え日本という小さな島国も支配してやろうか
おい紙と筆を出せ!
“ 今日から日本はフビライ様が支配した。服従しろやコノヤロー ”
よし!書けた!使者を使って日本に届けろ!
これで日本はフビライ様のものだ!ワッハッハ
―後日―
「大変です!フビライ様!」
「何だ?使用人A}
「日本がフビライ様の手紙の内容をシカトしました!」
「何だってぇえええ!小さい国して生意気な!おい兵を出せ!強行突破で支配するぞ!」
「はは~」
この後、大軍で日本に攻撃をしかけるが、神風によって征服は失敗したのであった・・・
~ウィキペディア参考~
~ 補足 ~
フビライ・ハン
(1215年9月23日~1294年2月18日)
モンゴル帝国を統一したチンギスハンの孫。5代皇帝。
中国を支配し都を大都(北京)に移し、国名を“ 元 ”と定める。
日本を支配しようと2回攻撃をしかけるが、失敗した。(元寇)
感想
前回のチンギスハンで調子に乗りフビライハンに挑戦してしまいました。
(無理がありましたね。この文章)
私についてフビライハンは
フビライハン⇒皇子(チンギスの孫だから)⇒ドラゴンボールのベジータ⇒支配⇒元寇
と無茶苦茶な感じで覚えました。
どうもフビライハンのイメージ像はドラゴンボールにでてくるベジータと重ねてしまうのです。(皇子つながりで)
次回はまじめにやります。
モンゴル軍自体が、長期戦の準備をしておらず
日本を威嚇するのが目的でした。
第2回元寇の時は、長期戦の準備をしていましたが
このときには、日本側が岸壁に防塁を設置し
上陸を許しませんでした。
そのうち台風が襲い、多くの船を失いました。
神風が吹いたとはいえ、日本軍側が上陸を許さなかった
ために、大きな戦果となったのです。
やはり鎌倉武士達の手柄と言えるでしょうね
それって誰の手柄になるんだろうね?
源 義経が、日本を脱出して、モンゴルに渡ったとの、
伝説が有ります。
うちの近くにはだれも訪れないようなこじんまりとした、
元寇博物館なる建物があります・・・。
私も行った事ありません^^;
ベジータと言ってくれてわかりやすくなりました。
日本を攻めに出かけていって失敗してしまうベジータは、なんとも想像しがたいですね。
「クソーーーーなんでここにきて神風なんだーーー」と叫んで、当り散らしてそうです(≧▽≦)ウハハ
すごいですね、さすが蘭丸ちゃん、勉強熱心ですね。
次の歴史検定も、とっても楽しみですね(#^。^#)
フビライはん
おいでやす