Nicotto Town


つぶやきrnao


胎内被曝者の手記



胎児は 小さいほど 直ぐに発症する

田川正則
 
 
僕は胎内被爆を廣島で受けた
 
被爆しなかった兄弟と比べ
 
病弱だった
 
働きものの両親には何ら異常はなかった
 

 
どれほどの放射線に暴露されたかわからないが
 
胎児の僕には一生ダメージだった
 
勉強をする気力が湧かない
 
運動すると直ぐに疲れる
 
仕事は事務職を選んだが
 
泊まり勤務は「悲壮感」があるほど辛いものだった
 

 
覚えがある限り「シンドイ」病弱な人生だった
 
病院通いしたが
 
常に異常ナシの診断
 
しんどい為にジットしていると
 
怠け者に思うのか
 
それでは生きていけないと思うのか
 
父親からは
 
よく激を飛ばされたものだ
 
母はかばってくれた
 

 
廣島ではこのわけの分からない症状を
 
「ビカドン」
 
と同じように
 
「原爆ぶらぶら病」
 
と呼ばれていた
 


 

同時に
 
「被爆者」
 
以上に
 
この「怠け者」
 
の方を差別をしていた
 



医学的なことは分からないが
 
大人(両親のこと)は晩年まで元気だったが(癌を発症)
 
胎児で被爆した僕は
 
この歳 65歳になっても「シンドイ」が付きまとっている
 



おそらく
 
原発災害の福島の子供たちのかなりは
 
廣島・長崎だけでなく
 
チェルノブイリ原発の子供たちのように
 
 


 

病気と認定されない病気
 
健康診断で  僕がされたと同じように
 
医師から
 
異常なし
 
健康
 
正常
 
の烙印を押されたまま
 

 
「原爆ぶらぶら病⇒原発ぶらぶら病」で
 

 
勉学するのだろう
 
子供は意欲を失い
 
運動する  外で遊ぶ気力もなく
 
怠け者の差別を受け
 
苦しみながら
 
大人となるのだろうと僕は思う
 


 

当然
 
経済的にも苦しくなり
 
最後は癌などを発症すると思う
 


 

運よく結婚し子供が出来たとしても
 
何らかの遺伝があるという医学論文がある
 
 
これは語り部としての僕の証言
 
 

アバター
2011/05/30 07:08
つらい人生ですね(TT)
目に見えないところのつらさやいたみを他人はわかることができないですものね。



カテゴリ

>>カテゴリ一覧を開く

月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012

2011

2010

2009

2008


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.