May dead
- カテゴリ:日記
- 2011/05/21 04:08:18
最近、精神は悠久のかなたですw
まあ、毎年この時期はそうなんだけれども。
たぶんこれが五月病というやつなんでしょうww
「死ねばいいのに」にが口癖に(←あぶねぇ)
独り言なので面と向かって誰かを罵倒していないのがせめてもの救いかも
面と向かっては言えねぇけどなww
鏡の前で唱えることはあるけれどもwww
堕落です、怠惰です。
だるいし何もやる気が起きない。
再起動にはしばらくかかりそうです。
いやこの際再インストールしとけw
コメントありがとうございます。
「死ねばいいのに」は、おそらく理想と外環境の不整合に対する嫌悪感が言語化されて発せられた敵意だと私は考えています。
理想と現実の温度差、煩わしさに対する敵意、そんな諸々の軋轢が欲求不満となって充満した状態がおそらくこの状態の根本にいあるのでしょう。
「死」は死後のその絶対に到達できないという不満さとすべての意識の喪失に対する恐怖が不安感を掻き立てるのですが、合理的に考えれば、それは絶対に自覚することなどできないものなので本当は恐怖など起きようはずはないのですが、自覚できずともその不条理さを想像して恐怖を自ら生じさせているのかもしれません。
頑張って、どうにかなればいいのですが、何をどうすればいいのかわからないから、困ってしまう。
どうせ死んでしまうのに、というニヒリズムの囁きが、闇の底へと引きずり込むのか/あるいは、自閉的な時間も空間も無意味化した概念に精神が耐えられないのか/あるいは・・・?
気楽に、すると堕落してしまう。
なぜなら、不安は自らの内から生じるものに他ならない。
その状態を/ある想定を否定的/不条理的にとらえた自意識がそれを生じさせるからではないか。
その警戒信号から目を背ければ辛くはない。
意識さえも消して眠ってしまえれば。
だが眠れはしない。
眼を瞑れば瞑るほどに、あらゆる現実が、あるいはあらゆる想定が、思考の中で再現される。
これは悪夢だ。まさに悪夢だ。
こいつらを黙らせる方法は、現実に生きることだ。
意識を現実に惹きつけ夢中にさせることだ。
現実に生きるのには希望が必要だ。あるいは悪夢でない夢が。
なぜなら現実ほど退屈のものはありはしないのだから。
意識はつまらない夢に夢中になったりしないのだから。
ゆえに生きるためには、夢や希望が必要なのだ。
けれども、それが見つからない。
あったはずのそれが見当たらない。
あるいは、それが見えなくなってしまったのか。
それが見えないというのは、生きていると言えるのだろうか?
それが、わからないんだ。
こういうときに頑張れというのは禁句だと思いますので、な~んとかなるさ~、と気楽に過ごしましょう。
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五月は憂鬱な季節ですね。