いや、だから子どもから見れば「おばさん」なんだよ
- カテゴリ:子育て
- 2009/04/17 00:08:00
本当のところ、子育ての話題じゃないかもしれないんだけど。
旧友から聞いた話だが。
ご近所の、同世代くらいの奥さんになんとお孫さんがいて、で、その人は孫に自分を「ママ」と呼ばせているそうな(母親は「お母さん」で)。
それ、ヘタすれば結婚可能年齢より先にお子さん生まれてませんか? というのは置いといて。
なんだそれ、マズくないかい? 子どもが混乱する。
「でも『おばあちゃん』と呼ばれたい年じゃないだろうし」
いや、わからんでもないけどね。
でも、本当に祖母なら「おばあちゃん」じゃないか。
発達途中の子どもは、身のまわりと照らし合わせて言葉の定義を作っていく。
母親が「お母さん」、祖母が「ママ」? 周囲との齟齬が生じるだろう。
ごく幼いうちに混乱するだけですむ場合がほとんどではあると思う。
でも、言葉や発達に困難がある子の場合は——?
概念をあつかう言葉の誤解の修正は大変だと聞いたことがある。
たかが若く思われたいだけで、子どもに負担を強いるのだろうか?
大抵はそこまでの面倒にならないのだろう。
けれど、そんなに若く見られたいモンだろうか?
むしろその必死さが——格好悪くない?
あれは確か三十路になったばかりの頃。
お近くの保育園児に年を訊かれたことがあった。
「いくつだと思う?」
訊きかえしたら、自分の指を見ながら真剣に考えて、決然と答えた。
「ろくしゃい?」
いや、ま、そりゃ君、3歳だもんなぁ。
憶えてるのもせいぜいここ1年のことくらいだろうし。
違うと返したら、さらに困った顔をして言った。
「よんじゅう、ななしゃい?」
……そこな幼児、それは君が乗るバスの系統№と聞いたぞ?
取りあえずお気に入りの数字を言ったものらしい。
子どもにとっての年齢って、結局そんなものだ。
自分より上。ずっと上。
「子ども」のカテゴリに入ってないなら、そんなものだ。
二十歳すぎでも、四十すぎていても、大人、子どもたちからすれば一様に「おじさん、おばさん」だ。
今時はよく躾けられていて、口には出さないかもしれないがw
なら、時間を生きてきただけ、頼りになる大人に、素敵に年を重ねた人間に、見られた方がよかないだろうか?
それこそ難しいけれど、生きた年月をすくなく見られることに汲々とするのは、格好いい生き方の真逆のような気がする。
だから、いつか孫ができたら「ばーちゃん」を自称するだろうけど、それより前に……
いい年齢の重ね方、ってのが難しいっす。
むしろ、その年でその程度? と言われそうで年齢を言いづらい状況なのが情けないけどね。
えー、もしこちらが年上だったとしてもお気になさらず。
同世代には子育て中か独身が多い三十代だったりします。
知人にDINKSはいても、孫がいる人はさすがになかったので話のネタになりました。
確かに、「おばあちゃん」と呼ばれたくないのは、わからくない年ではあります。
バチスカーフさん
たしかに、前代までの「モデルケース」がそのまま適応できなくなっているので、いろいろ難しいと思います。
ものさしとその拠って立つ理念を伝えることは、教育の一番根っ子だと思います。
ただ、子どもがそれだけをそのまま是とするばかりではない、というのも人生の難しさで面白さでしょう。
ながつきさん
たまたま言葉の遅かった子を知っているので、「言葉と概念」だの考えてしまいます。
一語に一意しか認めない、字義どおりの意味以外認めない子はそれはそれで大変かも。
呼ばれるお祖母さん本人から、別の意味と希望を伝えて折衝していただく、とかしても……難しいだろうなぁ。
suzuyoさん
身体的な年齢は、そりゃ、衰えがないほうがいいだろうなぁ、とは思うのですが。
(運動した二日後くらいに筋肉痛になると、情けなさで笑えますw)
人間、三十代からが正念場だよなぁ、と十代の頃から考えていた若年寄頭でした。
現在、若々しいより大人げない気がするのは、何故だろう。
今頃は立派な大人になってる筈だったんですけどねえ……w
最近よく耳にします。で、その場をやり過ごしてる風景。
よい年の重ね方≒いつまでも若々しい で「若々しい」の意味が食い違ってる。
もしくは 食い違うように動かされてる??
言葉足らずでうまく表現できないのですが 色々と考える機会になりました。
そういえば、お祖母ちゃんを「ママのお母さん」って呼んでる幼児がいました。
”お婆ちゃん”じゃない祖母が「おばあちゃん」なのはおかしいって、言い出したそう。
両親や幼稚園の先生や祖母が「おばあちゃん」と呼びなさいと言ってもまるで聞かないんだって。
もう少し言葉遣いに気をつけなくちゃいけないですねということに気がつき、
再度訪問して今までのコメントチェックをしてたりします
粗相があったら、おっしゃってくださいね~
個人の接触できる情報ソースが多様かつダイレクトになってきたことで、
お隣は結構おんなじじゃないぞって感覚が、都市部から順番に一般化してきたんでしょう。
子供たちにモノの良し悪しを教えるには難しい時代です。
僕らにできることは、自分の責任範疇にある子供に対して、自分の信じるものさしを呈示し、
背景を理解させることだと思ってます。
還るべき基準を植え付ける、ってことでしょうか。
これこそ究極の「親のエゴ」であり、既得権益なんじゃないのかな。
ああでもこの考え方って、「亡国」につながりそう(笑)
大人の価値観というか、育てる大人の枠が窮屈になった気がします。
今の世の中、何でも選べるといいますが
大人のほうは、そのいろいろ経験を積み重ねてその枠を作ってきたのですが
育てられるほうの子どもの方には、その迷い道や、いろいろな経験を許すよりも
「親の枠に嵌った経験」をさせることを優先させる事が増えているような感じがします
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上手に歳を重ねているのか、日々自分と問答してます。
若い頃の友人の苦境に直面している状態に
力になりきれずにいる自分がいるので、余計に
特に、ニコッとで自分の年より若く見られると、嬉しいよりも
自分の内面の成長がそこで止まっているような気がします。
フレンドリーな文体でしか文章を書けない等
エンジニアやっていた頃に、注意された事柄を
年齢を重ねて、経験をつんだわりに、
未だ成長を遂げていない事実に向き合わされて
リアルの見た目年齢は若く見られた方が嬉しいという気持ちはわかるけど
精神的な成長がないことに気付かされると、つらいよなぁ~