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前漢(西漢)・郊祀

郊祀とは首都長安の「郊」外で行う祭「祀」である。
祀られる対象は天と地で、長安の南の南郊で天を祀り、北の北郊で地を祀る。
南郊は冬至、北郊は夏至に行われる。
前漢初期、高祖に行われていた天帝祭祀は五帝祭祀である。
ここでいう五帝とは三皇五帝の五帝ではなく、
元々秦時代に秦の旧首都である雍で四帝(黄帝・白帝・赤帝・青帝)を祀っていたが、
高祖はそれに黒帝を足して五帝の祀りをすることに決めた。
この五帝を祀る場所のことを五畤という。
武帝期、天の象徴・天帝を祀りながら対する地の象徴・后土を祀らないのはおかしいと、
B.C.113年汾陰の沢中にて后土を祀ることを決めた。
更にそれまでの最高神・五帝は真の最高神・太一の補佐に過ぎないとなり、
新たに漢長安城の離宮である甘泉宮にて太一を祀ることに決めた。
この時以降、甘泉・汾陰・五畤の三つを一年ごとに順番に回って祀ることにされた。
しかし儒教の勢力が拡大するとこのような祀り方は古礼に合わないとして、
成帝期のB.C.32年丞相・匡衡らにより甘泉と汾陰で行うのを止めて、
新たに長安の南・南郊(天を祀る)、北・北郊(地を祀る)で祭祀を行うことに決めた。
更に五畤も廃され、南郊と北郊のみが皇帝の祀るところとなった。
その後天災が相次ぎ、劉向は祭祀制度を改悪した為だとし、一旦全てが旧に復された。
その後、再度南郊と北郊に戻され、更に戻されるなど動揺が続いたが、
最終的に平帝期の5年に王莽により、南郊と北郊を祀ることが決定された。

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