コラム 陰陽道と陰陽師
- カテゴリ:その他
- 2009/04/14 19:09:43
ちょっと休憩
陰陽道は古代中国の陰陽五行思想に基づき、天武朝(七世紀)に律令体制下の陰陽寮という官制をつくられ、国家が独占掌握することで、寮の官人以外、伝習を禁じていた。その職掌は暦・天文・陰陽(占筮)・漏刻(時刻)の四つに別れ、律令国家の要望に応じる技術・学問・呪術であった。しかし、平安期、律令制の実質的崩壊に伴い、吉凶予見の占筮だけでなく、害を祓う祭祀までも執り行うようになる。貴族個人の要求に応じて除災招福を祈る呪術者の側面が大きく現われ、陰陽道は呪術・宗教的性格を獲得していくことになる。
陰陽五行説とは、陰陽二元論である陰陽説と万物は木火土金水の五要素から成るとする五行説という別々に存在していたものが、さらに十干十二支の干支や易の八掛の思想などが加わって、古代中国の戦国時代から前漢に掛けて派生・隆盛したとされる、自然科学的な思想が結合したものであった。陰陽道はその陰陽五行説により、或いは占筮を駆使して、自然界の変異・怪異や人間界の吉凶を説明するものである。五行の行とは「めぐる」という意味を持ち、五要素の消長から森羅万象の背後に秘められた意味と働きを解読し、吉凶を判断、指針を定めることを目的とした。
陰陽師とは元々陰陽寮の官職名であったが、平安中期より職業名となり、陰陽道を掌る者を陰陽師と呼んだ。占筮とは式占(ちょくせん)と易筮とに分けられるが、易筮の占文は極めて少なく、ほとんどが式占のものであった。式占とは式盤という道具を用いた占いで、何種類かの占法があるが、陰陽寮では特に六壬(りくじん)式占が用いられた。