『平家物語』に見る陰陽道 6
- カテゴリ:その他
- 2009/04/10 16:05:21
○御占 (巻第三 八 つじかぜの事)p155
「これただ事にあらず、御占(みうら)あるべし」とて、神祗官にして御占あり。「今百日の中に、祿を重んずる大臣の愼み(つつしみ)、別しては天下(てんが)の大事、佛法・王法(わうぼふ)ともに傾(かたぶ)き、並びに兵革相續(さうぞく)すべし」とぞ、神祗官・陰陽寮(おんやうれう)ともに占ひ奉る。
《訳》
「これはただ事ではない、占を行うべき」として、神祗官で占を行わせた。「これから百日以内に、高祿を受ける大臣の慎しむべき事があり、とりわけ天下の重大事が起こり、仏法・王法ともども衰えて、戦乱が続くだろう」と、神祗官・陰陽寮とも占い申し上げた。
《解説》
治承三年(一一七九)五月十二日に吹いた辻風(旋風)により、家屋は倒壊して死者を多く出し、牛馬も多く死んだ。この辻風に対し、神祗官・陰陽寮双方に占をさせた。神祗官は百官の第一にして、神祗祭典を司り、全国の神社神官を統轄した官庁。その中に卜部(うらべ)といって、卜占(ぼくせん)(亀卜)に携わる職員が二十人いた。卜部が官掌する亀卜と陰陽師が官掌する占筮を官卜寮占と並び称した。しかし実際は寮占は官卜の補完的性格を持っており、占の結果に差異が生じた場合は、双方にお尋ねがあり、占い直させる例もあったという。 さて、ここでの「大臣の愼み」とは清盛の長男、重盛(しげもり)の死であり、法皇幽閉・以仁王の変・三井寺炎上が続くのである。
亀トも、それまでの物部氏の頃は太占(鹿ト)だったのを
中国から亀ト持ち込んだのも中臣ですし・・・
その後、ずっと現代にまでも亀トは続いてるんですよねー。
そぉ、そぉ!今上天皇の大嘗祭(平成元年)の儀式に必要な米を栽培する為の
斎田を選ぶ際に、亀トで決めていたと記憶してます。
それに比べれば、陰陽師は雑種やね雑種(笑)
地位は随分、低いですし。
現代より遥かに「目に見えざるモノ」を多くの人が当然と信じ、重きを置いていた時代に、
自分達の常識を超える天災や弔事が重なる事は「不吉の前触れ」と捉えられて、指針を定める為に陰陽師に占いを求めていた訳ですね。
…しかし「神祗官」の存在は初めて知りました。
色々な事が判って楽しいです(^^)