■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味(16)
- カテゴリ:その他
- 2009/04/10 16:04:28
■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|上 生の哲理|四 (6)
宗教はすなはち道徳が如何ともなし得ざる他の一面、生の無限の永續といふ要望と有限といふ事實との矛盾を解決することを主とした一種の精神状態を形成せんとするものである。生の有限といふ現在の事實は人力で如何ともしがたいが故に、無限の永續といふ要望を超現實の世界に導き、そこに種々なる變態を來たさしむる、諸多の宗教的現象は斯くして起こるのであらう。又増進の要望より來たる矛盾も、道徳によるのみにして解決せられざる場合、すなはち根本に生の不如意の苦痛を脱し得ざる場合には、之れを宗教的に解決せんとする。苦痛ある所以を超現實の關係に歸して之れを慰藉せんとするたぐひが其れである。つまり宗教は生の有限、死滅、不如意等に對する諦め若しくは慰藉の道に外ならぬ。我等が髣髴として内に抱いてゐる無限圓滿の生を客觀化したものが神でなくてはならぬ。即ち神は完我の想像圖である。
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*註1:宗教
「教」の正字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/kyou_oshieru.jpg
*註2:道徳
「道」の旧字体。「シンニョウ」は「二点シンニョウ」。
「徳」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/toku.jpg
*註3:要望
「要」の俗字。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/you.jpg
「望」の正字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/bou.jpg
*註4:精神・神
「精」の正字体。「青」の「月」が「円」。
「神」の旧字体。「示」+「申」。
*註5状態
「状」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/jyou.jpg
*註6:導き
「導」の旧字体。「シンニョウ」は「二点シンニョウ」。
*註7:諸多
「諸」の正字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/syo_moro.jpg
*註8:起こる
「起」の正字体。「走」+「巳」。
*註9:又増進の
「又」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/mata.jpg
「増」の旧字体。「土」+「曾」。
「進」の旧字体。「シンニョウ」は「二点シンニョウ」。
*註10:脱し
「脱」の旧字体。「月」+「兌」。
*註11:所以
「所」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/tokoro.jpg
*註12:諦め
「諦」の正字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/tei_akirame.jpg
*註13:慰藉の道
「道」の旧字体。「シンニョウ」は「二点シンニョウ」。
*註14:内に
「内」の旧字体。「冂(=エンガマエ)」+「入」。
*註15:抱いて
「抱」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/hou_daku.jpg
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■抱月『近代文藝之研究』を註記なしに通しで読みたいかたは、こちらをどうぞ。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/kbk_tobira.html
■このテキストの原本は国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」収録の「近代文芸之研究 / 島村抱月(滝太郎)著 早稲田大学出版部, 明42.6」の画像データに依っています。
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/871630/1
(2014/06/09/初校)
年に数回しか更新していない怠惰ブログですが、
他のページも見ていただき、恐縮です。(^_^;
ナイアガラの渡りをやめた野鳥や、冬眠をしないリスのお話、
興味深く読ませていただきました。ありがとうございます♪
観光客の餌付けで、動物たちの本来の行動様式や生態系が狂わされる例は、
日本でも、ドバトや野鳥(特にハクチョウ)やサルや二ホンカモシカ、キタキツネ……等々、
非常に多いですね。
コハクチョウの飛来地として半ば観光地化した所に行ったことがありますが、
人を恐れず、人を見るとワラワラと集まって来るコハクチョウやカモ類たちの姿には、
なんともいえない違和感と淋しさを感じずにはいられませんでした。
最近は、むやみな餌付けは自粛したり、禁止する方向に進んでいるようですが、
同時に、その周辺域で十分に活動できる環境を整備・復元する必要性もあると思います。
しかし、こちらのほうの対策の充実を伝える話は、残念ながらあまり耳にしません。
可愛い鳥や花の写真が所々にあって、歩き方よりも先に何度も見ていました♪
思わず他の所も見ていて
「厳寒期のこの時期は、どの野鳥にとっても餌は不足気味です。
弱っちい気弱の鳥と思っていたハクセキレイが、キセキレイにも、タヒバリにもケンカを売っているのを、その後、何度か目撃しました。
空腹は野鳥を殺気立たせてしまうようです。」
とあり思い出したのが、随分昔まだ元気だった頃、寒い所は寒い時が一番美しいという謳い文句にのって厳寒期の凍ったナイアガラを見に行った時の事です。
凍った湖の上でおしくら饅頭の様にみんなで身を寄せ合っている鳥達を見て、「おじいちゃんやおばあちゃんが餌をやるもんだから渡らなくなった」とガイドさんが説明してくれたのです。
渡り鳥だから渡るのではなく、餌の為にだったのですね・・・餌があれば寒くても我慢できるんですね♪
また、可愛いリスもそうなのです!夏に行った時は野を駆け回り、木の幹を登ったり降りたり、果てはカメラを向けるとポーズまでとる人なれしたリスもいたのですが、冬は冬眠してて会えないだろうな~と思って行ったら、なんと餌をやるもんだから雪の上を走り回っていたのです♪
自然の生態系を壊すからやめるようにといっても、餌をあげちゃうおじいちゃんやおばあちゃんがいた様ですね。今はどうかわからないですけれど・・・
グーグル先生、こわいですね。
新聞先生やTV先生はいなくてもだいじょうぶですが、
最早、グーグル先生がいないと、僕の生活、成り立ちません。
僕のトカゲ脳の大半は、グーグル先生のような気がします。
●momoさん:
おかあさん、腰を悪くされたようで、大変ですね。
ナンバ歩きは、腰に負担のかからない歩きなので、まさにうってつけです。
ジツは別名の別Blogで、僕がナンバ歩きをはじめて2カ月目ぐらいに、
覚え書きとして記したものがあります。
参考になるかどうか、自信はありませんが、よろしかったらどうぞ。
ゼロからスタートするより、2カ月分ぐらい試行錯誤がショートカットできるかもしれません。
・ ナンバ歩き|はじめの1歩
http://haikai.at.webry.info/200802/article_1.html
・ ナンバ歩き|はじめの2歩
http://haikai.at.webry.info/200802/article_2.html
・ ナンバ歩き|はじめの3歩
http://haikai.at.webry.info/200802/article_3.html
・ ナンバ歩き|はじめの4歩
http://haikai.at.webry.info/200802/article_4.html
・ ナンバ歩き|はじめの5歩
http://haikai.at.webry.info/200802/article_5.html
お能でよく「摺足、摺足」と耳にした事がありますが、その基本でもあったのですね。
それで和服姿でもしゃなりしゃなりと歩けるのですね。
和の「立ち居振る舞い厳かに優雅に」の元でもあったのですね。本当にとても勉強になりました。有難うございました♪
悩みの件、具体的にどういう悩みなのかがわからなかったので、
抽象的な一般論になってしまい、
あまりよい参考にはならなかったのではないか、と心配していました。
人づきあいのむずかしさというのは、生きている限り、ついてまわることです。
僕自身は、自分をスポイルする人、消耗してしまう人、とは
あまり近づかないことにしています。
そういう人にもし嫌われたり、悪口をいわれるようなことがあっても、
それは落ち込むことではなくて、大歓迎すべきことです。
思春期のころは、より多くの人に愛され、より多くの人に親しく思われ、
より多くの人にいい人だと思われたい……
というような願望が僕にはあったように思いますが、
いつのころからか、そんな願望はまったくなくなりました。
人の目や周囲の評価をバロメーターにして歩む人生は、果たして幸せでしょうか。
自分が納得する道を、そのおりおりに自問自答しつつ、意思的に選択していく強さを、
紫苑さんの年齢ぐらいから鍛え上げていけば、
きっとよい生きかたができるようになると思います。
右手・右足を同時に出す歩きかたをしますよね(笑)。
あれはキンチョーのせいだ、と先生がたとかが庇っていましたが、
そうではなくて、幼いゆえの自然な動作だったのではないか、
というような気が、ナンバ歩きをするようになってからしています。
同手同足がナンバ歩きの特徴とされていますが、
僕自身としては、同手同足の点を強調するのはまちがいの元だと思っています。
厳密にいうと、同肩同脚、がナンバ歩きです。
手や腕は振らない、というのがナンバの神髄だと思っています。
(手や腕は意識的に振るものではないけれど、自然に揺れるのはかまわない)
女性の場合は、和服姿のときは、ナンバ歩きのほうが
裾は捲れませんし、着崩れもなく、美しく、上品に見えます。
また、雨や雪道を歩いても、滑りにくいし、
裾の後ろに泥がはねるリスクもはるかに少なくなる、はずです。
ぜひぜひ、おためしあれ♪
おひさしぶりです、毎回ありがとです^^感謝
悩みの種となる子とはクラスが離れて
かかわってません・・・・・
相手のことも(自分にとっても)
このままの方がいいかな・・・と
いろいろありがとでした
また、お話しましょうね^^
幼稚園の運動会の練習の時1人だけなんば歩きをしていて、
家でみんなと同じ行進の仕方を練習した覚えがあります♪
西洋と東洋の様々な分野のいいとこ取りが出来れば1番良いのでしょうね~