一個人として
- カテゴリ:日記
- 2011/03/15 00:14:11
個人的な所見。
だから、ここにだけそっと記します。
とってもデリケートな事ですから、言葉を選んで書くつもりです。
それでも気分を害されるようであれば本当にすみません。
なお、こちらの記述は被災者の方々やそのご家族へ向けた言葉ではないことを明言しておきます。
なぜなら、僕がそういう事をここで述べても単なる想像に過ぎないし、到底それに及ばない生活を余儀なくされているだろうからです。
被災者の方々の気持ちは被災者の方だけにしか解り得ない事だから。
前置きでした。
さて
未曾有の...ここから先は書かなくてもいいくらいの出来事です。
毎日、毎分、毎秒、刻一刻変化する状況に一喜一憂している。
そんな中今、僕たち「が」、「今を」改めなくてはならない時だと考えます。
地震がおきてから4日。
日常を失って、あれ?おかしくない?って思う事がたくさんあったと思います。
実は土日は関西にいました。
原発の事とかよく解らない状態だったので。
なにもはっきりしない中、西は安全だ、ということだけがはっきりしていた。
第一原発一号機の建家が爆発した報道を見て、妻子を連れ立ち即荷物纏めて飛んだ。
関西の日常に触れて思いました。
僕たちの日常って、なんだったっけ?
何を理想としてたんだろう、と。
以下ちょっと乱暴なもの言いになります。
ご容赦を。
今日は、不平不満ばかり撒き散らしながら関東で暮らす人々をたくさん見て、おれは本当に辟易した。
こんなとこいるのやだなってほんとに思った。
多くの人が持っているであろう某電力会社への不満を例に。
確かに今までの会見では不安を煽るセンセーショナルな物言いもしたし、ブレたし、わかりづらいし、報告遅いし、何が本当で何が本当じゃないか解らず、みんな神経が尖っていた。
隠さずいえば自分もそう思っている場面があるよ。
改善の余地はあるでしょう。
でもね、今ある危機は今までおれ達の贅肉を満たす為に稼働し続けてきた事に起因してる事は明白。
おれ達の身の丈以上の贅を満たす為に。
今、街中のネオンがなくても、暖房も電気を消して布団にくるまりながらおれは家で安穏とキーボードを叩けているし、このままでも別に死なない。
おかしかったのは今までだった事に今更ながら気が付いた。
某電力会社だけに責任を押しつけ、この状況下でも贅を貪ろうとする人がいる事に寒気がした。
気持ちわりー。
また、街で散見された、我先にとスーパーで必要以上の食べ物を漁り、防災用品を買い占める行為。
ガソリンスタンドで必要以上の予備のガソリンを買う長蛇の列。
なにが起こるかわからない、不安。
よく解るよ。
家族や友人を寂しい、ひもじい思いにさせたくないもんね。
でも、だからって。
隣人への配慮を忘れているんじゃない?と。
理想ってそんなんだったっけ?
おれ達の生への執着やエネルギーは自分の中に溜め込むものじゃないんだよ。
今必要としている人たちにこそ向けられるべきなんだ。
もちろん僕の身の周りで、そのもっと先でも優しさと慈愛に溢れた人がたくさんいるし、そういった方々を尊敬している。
反面、上記に挙げた事も現実に起こってる。
どうしてこういう価値観になったんだろう、と考えはしますがそれは解りません。
でも、この価値観を別のものに、もっといいものに置き換えたりはきっとできると思います。
そして置き換えたものを次の世代に伝えて行く事が、僕たちの役目だと考えます。
僕たちの世代が、先人達が作ってきた今の時代にブラ下がっているだけだとしたら、それはとても寂しい事です。
僕たちは、変だと思った事を変えていかなくてはならないのではないでしょうか。
僕たちの世代が変えていかなくてはならない事がたくさんあるんじゃない?
今は小さい、そしてこれから産まれてくる次の世代の人々に、素晴らしいと思える日々を残してあげたい。
このままでいい筈ないんだ。
僕たちがどうにか発信していかなくちゃ。
そんな事を考え、今第一歩を踏みしめています。
ちょっと話が肥大した感は否めませんが、とっても正直な気持ち。
最後までありがとう。
あわわ恐縮です。
僕の感性はどうだかよく解りませんが、そう言って頂けると励みになります。
お優しいひとこと、ありがとうございます。
力がこもっていて、当たり障りのない文章より素敵と思います。
Nicaさんはミュージシャンだから感性が豊かなんでしょうね!
わーコメントありがとうございます
あの日の事は忘れちゃいけないし、今も継続してるんですよね。
こんな重たい内容の記事にコメント頂いちゃってありがとうございました。
問題発言になったけど、私はある意味的確と思いました。
余震が続く中「神様は怒ってるのかな」って主人に聞いちゃいました。